杉井ギサブロー氏インタビュー
映画は庶民の娯楽。 それ以上でも以下でもない。
つくり手の仕事は、物語性や作品全体の情感を分かりやすく伝達していくこと
12月公開の『あらしのよるに』は、ジャパニーズ・アニメとは違った風合いを持つ作品。映像のやわらかさ、温もりなどはアニメの原点である「マンガ映画」を彷彿させ、だからこそ新しくもある。監督は原点を知る人、杉井ギサブローさんだ。
WORKS of GISABURO SUZUKI
- 『鉄腕アトム』(1963年) 作画監督
- 『悟空の大冒険』(1967年) 作画監督・原画
- 『どろろと百鬼丸』(1969年) 演出
- 『哀しみのベラドンナ』(1973年) 作画監督
- 『ジャックと豆の木』(1974年) 監督
- 『ナイン』(1983年) 監督
- 『タッチ』(1985年) 総監督
- 『銀河鉄道の夜』(1985年) 総監督
- 『ストリートファイターⅡ』(1995年) 監督
- 『飛べ!イサミ』(1995年) 総監督
- 『タッチ~あれから君は』(2000年) 総監督
- 『タッチ~CROSS ROAD 風のゆくえ』(2001年) 総監督
- 『キャプテン翼』(2002年) 総監督
- 『羊のうた』(2003年)監督
- 『タッチ~あれから君は』(2000年) 総監督
他多数 日本画家(雅号:砂風)としても数多くの作品を手掛けている
アニメの本質的な醍醐味というものは本来止まっている絵を動かすこと
日本のアニメは、草創期には「マンガ映画」と呼ばれていた。1958年に公開された日本最初の長編カラーアニメーション映画『白蛇伝』は、“総天然色漫画映画”として世の中に登場している。「マンガ映画」とは、言うなれば“動くマンガ”である。実写では表現しきれない構図やモンタージュ、そしてキャラクター。日本の「マンガ映画」は、マンガの表現技法を取り込みながら、ディズニー・アニメとはまた一味違った、卓越した映像言語で観客を魅了した。
その後、「マンガ映画」の表現力は、手塚治虫氏を代表とする優れた作家たちにより磨きをかけられ、精錬されていく。やがて、70年代後半あたりから日本のアニメは、後に“ジャパニーズ・アニメ”として世界に影響力を及ぼす、独自の表現スタイルを生み出すのだが、皮肉なことに、そのあたりからジャパニーズ・アニメの原点たる「マンガ映画」の影は薄くなってしまったのである。
そんなマンガ映画が「動画」と呼ばれていた時代に、杉井さんは東映動画(現:東映アニメーション)に入社する
子供の頃から絵を描くことが好きで、小学校低学年で自作の紙芝居を作って遊んでいた。当時からアニメを仕事にすると決めていたという。
絵が巧かったこともあり、入社直後から先述した『白蛇伝』の動画に関わっている。後に手塚治虫氏の虫プロに移り、“日本のTVアニメの原点”と言われる『鉄腕アトム』をはじめ、『悟空の大冒険』『どろろ』(テレビシリーズ)で、作画監督や総監督を担っている。69年にグループ・タックを共同設立し、以来、テレビアニメに独創的な表現を採用した『まんが日本むかしばなし』、今も多くのファンの心を掴む『タッチ』『ナイン』を監督。2000年に放映された手塚治虫氏原作の『陽だまりの樹』は、文化庁メディア芸術祭で優秀賞を受賞した。映画では、宮澤賢治研究者からも高い評価を得た『銀河鉄道の夜』、光源氏の心象を再解釈した『源氏物語』、劇場版『タッチ』、『ストリートファイターⅡ』などを監督している。
杉井ギサブロー監督作品の大きな特徴は、40年以上ものキャリア、豊富な受賞歴を持ちながら、これぞ「杉井アニメ」というような定型のないことである。
杉井さんの持論は“映画は観客の頭の中で完結する”だけに、物語性や情感の伝達が最大の目的である
そのため20代の頃から、一作ごとに独自の映像言語を追求している。
「アニメの本質的な醍醐味というのは、“止まっている絵を動かして映像にする”ことなんですね。動きというのは、それ自体が伝達しようとする意志の現れ。絵を動かすこと、つまり映像自体が既に言葉を持っている。それを僕は映像言語と呼んでいるんです。原作に応じてどんな語り口で、不特定多数の人に作品が物語性や情感を伝えていくか。これは僕の映像作家としての、ライフテーマです」
古典、小説、童話、民話、コミック、ゲーム…と、杉井さんは多彩なジャンル、メディアの原作をアニメ化している。これも映像言語を追求する姿勢と無縁ではないかもしれない。
いま杉井さんが制作しているのは、本来なら「食うー食われる」関係にあるオオカミとヤギの友情を描いた『あらしのよるに』。今回の原作は、日本中の小学生に読まれている絵本だ。
「普通にアニメにしたら、まるで昔話のアニメ化のような動物ものになってしまう。それじゃ今やる意味はないですから、鮮度のあるアニメとしての『あらしのよるに』を考えました。主人公二匹の心の葛藤や優しさをちゃんと伝えていくには、
絵に質感を持たせなければと考えました。質感のないキャラクターの内面なんて伝わりませんからね
だから、キャラクターをべた塗りして平面的にするのは、いちばん避けたかった。セルを何枚も重ねて、一つのキャラクターの中でも細かくトーンやタッチを入れています。大変な作業ですけど(笑)」
『あらしのよるに』には深いテーマが潜むが深刻にせずギャグをふんだんに明るい作品に
デジタルが主流の時代に、『あらしのよるに』は手書きの画を中心につくられるが、かといって杉井さんがコンピュータに興味がないわけではない。『あらしのよるに』でもCG技法はふんだんに使われ、杉井さんは特にコンポジット工程に神経を使っている。
技術の進歩によって、アニメーションの映像言語も広がるんです。白黒からカラーへと移行した時がそうでした
コンピュータはコンピュータなりの映像言語があります。僕はデジタルでの制作にも大いに興味を持ってます」
『あらしのよるに』は異なる種族の共生というテーマが潜む。それは民族や宗教の違いで争いの絶えない人間社会にも通じるテーマだ。だからといって、深刻にしてはいけないと杉井さんは判断した。ギャグもふんだんに、明るく楽しい作品にしている。
「理解するのではなく、笑いながら主人公ふたりの内面や作品全体の情感を感じてもらえればと考えています」 “映画は庶民の娯楽。それ以上でも以下でもない”。これもまた、杉井さんの持論である。それはまさに「マンガ映画」が目指したものである。
いまアニメは絶頂を迎えているように見える。日本の映画興行収入ベストテンのうち、劇場アニメが半数を占めて久しい。テレビアニメも一週間に約100本つくられる。 “ジャパニーズ・アニメ”は世界のマーケットを席巻し、多くのファンを獲得している。
「『鉄腕アトム』以来40年、ここまで来たかという感慨はありますね。
いまのアニメはとてもうまいし、ビジネスとしても戦略的になった
だけど絶頂期がこのまま続くとも思えない。その先を考える責任が僕らにはあります」 『あらしのよるに』は「マンガ映画」の復活を思わせる。アニメ界の先を考えるとき、大きな一つのヒントになるかもしれない。
取材:映画専門大学院大学設立準備委員会
取材協力:『映画・アニメ・CMの全仕事』編集部
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映画専門大学院大学設立準備委員会
『映画・アニメ・CMの全仕事』編集部
作家としての財産を培った10年間の放浪の旅
70年代前半から80年代前半までの10年間は、杉井さんのキャリアの中でも空白の期間だ。なぜか。杉井さんは日本中を放浪していたのだ。天才、奇才と賞されながらも、杉井さんなりに創作活動に対する限界を感じての、漂泊だった。
「日本各地を転々として、絵を売って生計を立ててました(杉井さんは、砂風という雅号を持つ日本画家でもある)。京都では有名なお寺のそばで露天商とならんで絵を描いて売ってましたし、岡山県の山間部では農家を借りて、そこに3年半もいました。まさに風来坊そのものでした。旅する間に日本の風景や生活、文化を見聞し、思索をめぐらせる中で、日本人とは何だろう、人間とはなんだろう、生きるとはなんだろうという答えが、なんとなく見えてきたんです。それがアニメ界への復帰後の演出や脚本に生きている。それは作家としての大きな財産ですね」
復帰後に制作した『銀河鉄道の夜』『源氏物語』『陽だまりの樹』『羊のうた』などは、杉井さんの深い洞察に基づいた原作解釈が大きく評価されている。