東映アニメーション 小原康平氏インタビュー(前篇)

東映アニメーション 小原康平氏インタビュー

東映アニメーション株式会社 小原康平(おばらこうへい)

PROFILE

1982年1月生まれ
慶應義塾大学法学部卒業
2005年4月 東映アニメーション株式会社入社
2006年7月より 企画営業本部
企画部 テレビ室 プロデューサー

作品プロデュース

2005年6月 TVアニメーション「ワンピース」プロデューサー補
2006年5月 アニマックス放送「神様家族」プロデューサー補
2006年7月 TVアニメーション「出ましたっ!パワパフガールズZ」プロデューサー
2008年1月 OVA「聖闘士星矢 冥王ハーデス エリシオン編」プロデューサー
2008年12月 12月20日劇場公開作品「劇場版 ゲゲゲの鬼太郎 日本爆裂!!」プロデューサー
2009年4月 TVアニメーション「ドラゴンボール改」プロデューサー

趣味

映画鑑賞、読書、アイスホッケー
好きなアニメ作品:「ドラゴンボール」「聖闘士星矢」
影響を受けた作品:インディージョーンズ、バックトゥザフューチャー、ベストキッド
好きな音楽:80年代の洋楽

最近読んで印象に残った本:マキアヴェッリ語録(塩野七生著)

プロデューサーの仕事について悩んだ時に読み始めました。君主論の「君主」を「プロデューサー」に置き換えると妙に参考になります。プロデューサーは1番の責任者ですが、僕は決断の仕方、判断については日々悩むことばかりでキリがありません。現場の流れを止めないよう気を遣った判断が作品にとってはマイナスだったかも、と後悔することもあります。プロデューサーとしては、一見悪く見えても最終的には作品にとってはプラスになることを見据えて、物事を決断していく必要があります。結局残るのは作品だけですから、いい成績を残せばプロデューサーとしては正しい判断だったということができるのです。そういった意味では大変参考になる本です。

INTERVIEW

東映アニメーション 小原康平氏インタビューご自身のアニメプロデューサーとしての業務について教えて下さい

作品の企画から完成までを統括する責任者です。スポンサー獲得、資金調達や予算管理などお金まわりのことも中心になりますが、僕は今手がけている作品ではクリエイティブ面で主な業務が集中しています。企画に始まり制作、シリーズ構成、宣伝、商品展開など、カバーする範囲は広く、制作に関わる事柄の全体的な指揮を執ります。作品の成功、もちろん質の善し悪しでもありますが、テレビ放映であれば視聴率、劇場上映作品であれば動員数・興行収入などといったビジネスとして成り立っているかということもプロデューサーの責任に懸ってきます。
多くのスタッフが関わるので、関係者間の調整も中心の任務の1つとして挙げられます。内部のスタッフ、テレビ局、代理店、劇場作品であれば映画配給会社などとの調整を毎日行います。全体を見回して問題が起きていないか、これから起きないか気を配り作品を作り上げていくために業務の円滑化を促します。作品に命を吹き込む工程の1つとして、アニメでは声の出演をされる役者さんの存在も大きく、気持ちよく仕事をして頂くためにはどうしたらいいか、というようなことを考えるのも重要な役割です。作品がビジネスとして成立するために何でもやるといったところです(笑)。

プロデューサーとして手掛けた作品については?

2006年7月のTVアニメーション「出ましたっ! パワパフガールズZ」がプロデューサーとしてはじめての作品でした。アメリカを拠点にアニメ専門チャンネルを世界展開しているカートゥーン ネットワークのアニメ番組「パワーパフガールズ」を日本のアニメーションとしてリメイクしました。株式会社アニプレックス、カートゥーンネットワークと弊社の共同制作で、弊社のエグゼクティブプロデューサーは「デジモンアドベンチャー」や「おジャ魔女どれみ」他を手掛けた企画営業本部企画部長兼映画室長関弘美で、そこに現場プロデューサーとして僕も入りました。日米の感性が混在した現場でしたので、国内および海外の両方に向けた作品のプロデュースを行うことには多くの壁がありました。新しい形式の挑戦的な企画でもあったので、通常の作品以上に学ぶ点がたくさんあったと思います。
以降、2008年1月OVA「聖闘士星矢 冥王ハーデスエリシオン編」、2008年12月20日劇場公開作品「劇場版 ゲゲゲの鬼太郎 日本爆裂!!」、そして今放映中の2009年4月 TVアニメーション「ドラゴンボール改」となります。弊社企画部で20代のプロデューサーは僕1人です。

東映アニメーション 小原康平氏インタビュー

『Cofestaプレゼンツ「世界に広がる日本アニメ」復活! ドラゴンボール」』東京国際アニメフェア2009内イベント(主催:JAPAN 国際コンテンツフェスティバル実行本部)にて新オープニング曲「Dragon Soul」を披露する谷本貴義さん率いるDragon Soul
Cofestaについての詳細

元々プロデューサー志望ではいらしたのでしょうか?

実は入社試験のときは国際部を希望していました。新入社員の企画部配属は稀であり、プロデューサーになるには制作進行、制作デスクなどの製作部などでの下積みを経て、人脈を構築し、その経験と実績を評価されてから、というのが通例と思っていましたから、僕もそういうつもりで入社試験に臨んだんです。てっきり営業部門への配属だと思っていましたが、蓋を開けてみたら、青天の霹靂で現在の企画部配属でした。今にして思えばすごく幸運だったと思います。

幸運も実力のうちと言いますがアニメに対する情熱か何かが評価されたとは思われますか?

入社当時好きな作品を聞かれ「聖闘士星矢」と「ドラゴンボール」と答えました。会話の中で個人的に好きな作品について話すこともあったので、そんなことが僕にとって’草の根活動’になり、結果的にアピールになったかもしれません。なに考えているかわからない、と言われるより、好きなもの、いいと思うものがはっきりしていて、それを外に向かって言い続けていくことも大事ではないでしょうか。 「聖闘士星矢」や「ドラゴンボール」など、十数年前にやっていた作品をオンタイムで観ていた世代は、「どんな作品だったっけ?」と聞かれた時に淀みなく解説できるという点で会社にとっても貴重な存在なのかもしれません。「聖闘士星矢 冥王ハーデスエリシオン編」にしても今回手がける「ドラゴンボール改」にしても、たまたま機会が巡ってきた時、作品をある程度理解していて、かつ動ける状態だったことでプロデューサーを任せてもらえたのではないかと思います。弊社の、若く未熟な者にもチャンスを与えてくれるような社風には感謝しています。

東映アニメーション 小原康平氏インタビュー

同上イベント
ドラゴンボール声優陣を迎えてのトークショー、左2番目より古川登志夫さん、野沢雅子さん、渡辺菜生子さん

アニメの会社に入ったきっかけについて教えて下さい。

2歳から7歳まで父の仕事の都合でニューヨークに住んでおり、アメリカのアニメや児童向け娯楽に没頭した反面、日本のアニメへの渇望はありました。4歳年上の兄が日本の児童向け娯楽についてマンガ雑誌などを通して情報を得ていました。かなりの時間差はありましたがビデオになったアニメ作品を観て、そういった細い糸、小さな網によって日本のアニメを追いかけていました。幼い頃観ていたのは「聖闘士星矢」「ビックリマン」など考えてみればほとんど弊社の作品です。
日本に帰ってきたのは1989年9月、小学2年生のときで、「ドラゴンボールZ」がはじまって半年くらいでした。「ドラゴンボールZ」はその頃から見始め、夕方の「ドラゴンボール」の再放送を毎日欠かさず見ていました。
また、演劇が好きで演劇部に入っていたり、アイスホッケーもしたりもしていました。中学生まではアニメはヘビーに好きで漫画本も数百冊以上も所持して、毎月山のように買い足していました。当時はあらゆるアニメを面白く感じ、ブームを追いかけテレビもかなりチェックしていました。オタクでした(笑)。高校、大学から洋画が好きになり、アニメと並行で良く観ていました。就職活動を始めて、幼いころ多大な影響を受けたアニメの制作会社を自然に受けたのだと思います。

東映アニメーション 小原康平氏インタビュー

「東京国際アニメフェア2009」東映アニメーションのブース

バランス感覚は今でも大事にされていますか?

今はアニメをあまり見る暇がなくて見てないんです。ただ、アニメに関する知識は大事ですが、「アニメしか知らないのは問題」だとよく先輩から言われます。作品にもよりますが、今、アニメ業界の創造性は全体的に内向きに閉じていく傾向にあると思っています。日本のアニメ作品は海外で売れていると言いながら、実はそれほどでもありません。原因の一つはここにあると思います。強いアニメ作品はむしろ非常に少なく、鳴かず飛ばずで消えていく作品が大多数なのです。
数年前は週に120本以上ものアニメ作品がテレビで放映されていました。今では少なくなりましたが、アニメバブルと言われた時期は数多くの作品が生まれ、数クールで放送を終えていきました。一方でキー局のゴールデンタイムのアニメはもう数えるほどです。アニメは制作費が掛かりますし、制作日数も長く、タイムリーなものを視聴者に提供しにくい。テレビにとっては、ともすれば扱いにくいジャンルともいえます。
そんな中、これほどたくさんの作品が生まれては、あまり知られることなく消えていくのはアニメに憧れた方がアニメの世界に入り、同じものを再生産するという、アニメ製作の’デフレスパイラル’のような傾向が生まれているからではないかと思います。狙いは違えど似た系統やシチュエーションのアニメが生まれ、さらに狭い層に向けた作品がまた作られることで、次々と市場が狭まり、閉塞的になっていくのです。
自分としてはなるべく幅広い経験を積むことを心がけて、バランス感覚を大事にしながら、アニメに接し、アニメ以外にも接し、ターゲットを拡大して、アニメのマーケットを広げていきたいと思っています。

(取材・文 広報室 小林真名実)


東映アニメーション 小原康平氏インタビュー(後篇)