VIPO

インタビュー

2019.03.15


東京大学VR教育研究センターが目指すVRの未来――コンテンツ業界が知っておくべき最新技術と最新事例

VIPOでは2017年度、経産省より「先進コンテンツ技術による地域活性化促進事業」を受託した。本事業では公募を行い、全14件のプロジェクトに対して補助金で制作をサポート。事業実施にあたっては、廣瀬通孝教授に「技術検討委員会」委員長になっていただき、各プロジェクトの制作を通じて得られたナレッジやノウハウ等をまとめたガイドラインを作成しました。
VRの第2期と言われている今、東大では「VR教育研究センター」が立ち上がり、これを機に今回は、センター長でもある廣瀬先生にコンテンツ業界の私たちが知っておくべきVRの今と未来予想図をお伺いしました。

(以下、敬称略)
先進コンテンツ技術による地域活性化促進事業
【ガイドライン】
[PDF]第Ⅰ部 VR等のコンテンツ制作技術活用ガイドライン2018(全 112ページ)pdf:2.9MB[PDF]第Ⅱ部 コンテンツ制作に向けて(全 93ページ)pdf:1.5MB[PDF]『How to make VR content』(全 4ページ)pdf:3.2MB

 

VRを効果的に使ってコンテンツ産業を発展させるために

行動と心理をインタラクティブな視点でとらえる

東京大学VR教育研究センターと「利用」主軸とする第2期「VR元年」
 
VIPO専務理事 事務局長 市井三衛(以下、市井)  今回、東京大学でVR教育研究センターを作られましたよね。

東京大学教授 廣瀬通孝教授(以下、廣瀬)  設立したのは2018年2月1日で、お披露目が2018年11月1日でした。

バーチャルリアリティ(以下、VR)教育研究センターを作りましたと言うと、「VRの教育や研究をするんですか?」とよく聞かれますが、実はそうではなくて、「VRを使った教育の研究をする」という意味なんです。だから「for VR」ではなくて「by VR」なんです。それが特徴の一つかもしれません。

ほとんどの人はVR技術をよく知らないから気になっているんだと思いますが、実は技術研究者の立場から見ると決して新しくはなく、研究の歴史はもう30年くらいになります。

大学には部局と言う、企業の事業部のようなものがあって、研究室は部局に属しています。ですから、この30年間、VRの研究は事業部の内部で個別的に行われてきたんです。それがセンター化されると、部局横断型、つまり全社的体制を組むことができるようになった。これは従来なかったことなのです。

文科省の重点領域研究とか科研費とか、比較的大きな予算が取れるようになったのが90年代終わりくらいですね。VR第1期ブームのようなバブルがあり、その後は少し静かになって、2016年に再び「VR元年」などとマスコミが騒ぎ始めたというのがこの技術の簡単な歴史なんです。第1期は、VR技術を「作る」研究が中心でした。

それに対し、2期目は明らかに「利用」です。「利用」としてどんなことが考えられるのかを研究しましょうというところです。VRセンターの軸足も、「利用」にあります。

市井  それがビジョンであり特徴であるということですね。

廣瀬  はい。考えてみるとVRという名前を掲げた全学組織を持った国立大学はないので、東京大学も捨てたもんじゃないかな……と思いますね。

市井  コンテンツの海外展開においては、まさに大きな変化を肌で感じているわけですね。コンテンツ輸出の収益自体が右肩上がりですからね。

 

 

3つの講義――「体験」「遠隔」「可視化」
 
廣瀬  東大の講義ってある種のブランドだと思いますが、そこがどういうVRを採用するかがある種のメッセージになりますよね。ですから、今、「体験」「遠隔」「可視化」の3つのキーワードを手がかりに実験的VR講義を考えています。

市井  「体験」型講義とは?

廣瀬  「体験」型講義というのは座学に対する実験とか実習とかいうものです。VRセンターにはいろいろな部局が参加しています。情報理工学系研究科、工学系研究科に加えて、医学系研究科も手を上げてくれ、全部で7部局が参加しています。そうそう、人文社会系研究科も参考にしてくれています。心理学の先生とか。

市井  VRと心理学のお話は興味深いですね。

廣瀬  人文社会系は文学部です。心理学にとどまらず、社会学とか歴史学とかコンテンツ面でかなり強力です。医学系で「体験」といえば臨床講義がありますね。ズバッと目の前で現実の「体験」をするということは、医学教育にとっては非常に重要なことです。

我々工学系でも実地体験は重要です。工場見学に行ったりするんです。座学で学べるのは個別的な知識です。応用問題を解くためには、個々の知識を統合せねばなりません。「体験」は、そういう意味で重要だと思います。それを本当に実際の現場でやろうとすると大変なコストがかかるので、それをVRで行うということは当然考えられるでしょうね。

市井  その場合は、こういうものを作ろうと決めてから、それをVRで作るという作業をして、実際講義をするということですか? タイムラインが結構かかりますよね。

廣瀬  ただ、もうすでにリアルな臨床講義がありますからね。ただし、VRならではというカリキュラムはこれから試行錯誤しながら作っていけばいいと思います。

市井  なるほど、例えば「次はじゃあ臨床行きましょう」と言ったらその作業ができて、次の時にはそれを見るような形になりますね。

廣瀬  そういう形もあるかもしれないですね。

市井  それは、それを実際に行った後、こんな風に使ったと、みなさんに公開していくということですか?

廣瀬  大学って基本的にいろいろな教育を行っているので、そういうこともあると思います。

3つのキーワードのうち、2番目が「遠隔」です。例えば実際の現場を見るというのも「体験」ですが、遠くの世界をいろいろ体験してみるのも体験です。旅行に実際に行かなくても済むとか、基本的に居ながらにしてフィールドワークって少し矛盾的ですが、そういう試みも考えられますよね。

アイデアとしては古いものですが、1990年代にNASAが考えた、「ジオロジスト・プロジェクト」では、例えば火星の表面をバーチャルに体験できるVR空間を作り、それを研究者が高い臨場感で体験できるようにしたのです。探査ロボットの動きを、バーチャルの空間の中から指示してもらうということも考えられていました。これは、フィールドワークを大きく変えることになるでしょうね。このようなことが「遠隔」ですね。

そして3つのキーワードの中で、私がおもしろいと思っているのが「可視化」です。

市井  「可視化」ですか?

廣瀬  ちょっと難しいかもしれませんね……、僕がよく例で使うのが相対性理論です。例えば光のスピードに近いスピードで自分が動くと物体の長さが短くなって見えると、相対性理論では言います。しかし、我々はそれを数式で理解しているだけで、その様子を実際に見たことのある人はいないんですよね。例えばニュートン力学だと、持ったリンゴからパッと手を離すと落ちていくようなことは子どもの頃に体験しているじゃないですか。ひもをつけて重りをぐるぐる回すと、外側に飛んでいくとか。一回身体的に体験すると、もう少し理解が可能になるのではないかと思うんです。

4次元とか8次元の中に超立方体があるという概念も、優秀な数学者はそれが見えるって言いますね。我々凡人が数学で証明を解くというのは、プロセスで解いていくものなんですが、彼らが解くのは瞬間なんだそうです。 「見える」みたいですよ。あとは見えた瞬間の風景を一生懸命、スケッチしていくらしいです。結果的にそれを数式に展開していくらしいんですね。そこまではいかないにしても「可視化」をすることは、ロジックの中にありながら、もう少し直感的なものもあったりするので、それを見える形にするのがVRの得意とするところじゃないでしょうか。

市井  知識の共有化みたいなものですね。

 

 

教育現場に「訓練システム」として有効活用していく
 
廣瀬  大学内部の活動以外にも、企業、国のプロジェクトなど、外部との共同研究も重視していく計画です。現在一番大きなプロジェクトは、産業技術総合研究所と一緒に進めている「認知的インタラクション」というプロジェクトです。それは「サービス業における訓練システム」に関する研究です。

市井  もう少し詳しく教えてください。

廣瀬  「サービス業における訓練システム」とは、例えば接客シミュレータのようなものを考えればよいでしょう。客室乗務員の訓練などにVR技術を広用するにあたっての基礎研究です。サービス窓口の業務などでは、言語的やりとりに加えて、身体動作的なスキルを学習する必要があます。手取り足取り教えることが必要な場合、教える側と教わる側の視点がそもそも違っていますよね。

市井  そうですね。違いますね。

廣瀬  本来なら、教わる側に教える人が立って同じように動いて教えるのがベストですが、現実世界では完全に同じ視点に立つのはむずかしいですよね。でも、VRだと視点の同一化が楽にできたりします。逆に、客の側の視点から自分のサービスを体験することなどもできるでしょう。

「共有身体」みたいなものが使えたらどうとか、たくさんのアイデアが現在検討されています。バーチャルな顧客を、VR環境の中で、どう作っていくかなど、VR技術から見てもおもしろいテーマが含まれています。

市井  多岐に渡りますね。

廣瀬  はい。だから「訓練」は、今後のVRの発展にとって良いキーワードだと思います。企業の方たちも「訓練」とVRのことはみんな漠然と重要視しているのではないですかね?

いまVRって第2期も少し頭打ちになってきた所があります。「夢から覚めたVR」など言われていて、具体的にどこに使えるのかを現実的に考えなければならない時代になりました。そういう状況の中でも、有望と言われているのが「教育訓練」の分野なんですね。今、問われはじめているのが「VRじゃないとできないものっていったい何?」と言うところなのですが、それに対して教育訓練分野では良い事例をたくさんあげることができるのです。「教育」をセンターのテーマにかかげたのは良かったと思います。

ところで、教育訓練における「心」の問題などは最先端の話題です。

 

 

人材教育と訓練での活用

「訓練」の成功体験でメンタルを上げる
 
廣瀬  現在の仕事の訓練や教育はどちらかと言うと体育会系の厳しい方向になりがちです。ちょっと間違えると厳しく修正する、などのような猛訓練をしてしまいがちではないでしょうか。ところがいろいろな実験をしてみると、何をしても成功をするような体験をさせた方が、その後本番での成功率が上がるんですよね。

会社でもなんでもそうじゃないですか、頑張っている新入社員に厳しいこと言ってもメンタルが落ちていくだけですよね。メンタルが落ちちゃうと、できるものもできなくなってしまう。最新の若者は特にそうです。

市井  できる可能性がある人は、そこを伸ばすということですね。

廣瀬  これまでの日本社会では、本来できる人のメンタルをどうするかという議論ってないんですよね。VRの教育訓練環境では、課題の難易度を自由に上下できますから、メンタル的なものとフィジカル的なものの関係がどうなるかということを調整できるのです。

VIPO第5事業部 近藤(以下、近藤)  成功体験の積み重ねって大事ですよね。

廣瀬  大事ですよ。極論を言えば、失敗なんて知らない方がいいとも言えます。

市井  そうですよね。VRを使って間違ったところだけ練習すればいいという話もそうですし、メンタルで頑張っている人たちにこれを渡すことによって自信がつくってことですもんね。

廣瀬  実はバーチャルがメンタルの側面にどう作用するのかというテーマは、今日のVR研究の中で最もホットなものの一つです。バーチャルな世界で自分の体の形を変えることによって心がどう変わるかと言う研究もあるんです。

例えばバーチャルな世界にはいってドラムをたたいてみようとするとき、自分のバーチャル身体がネクタイを締めているときとレゲエミュージシャンのようなときとでは全然たたき方が違うんだそうです。外見的身体的なものによって、メンタルが影響を受けるということなんですよね。普通はメンタルから身体に落ちると思っているんですが、逆のパスもあるわけです。VRではそういうことが自由になるんです。

市井  形からメンタルに入る。ある外資系IT企業の、ブルーの部屋とレッドの部屋があって、ディスカッションの時にはレッドの部屋で、決断の時にはブルーの部屋に入るって、あれもそうですよね

廣瀬  環境も自分の姿もバーチャルな空間だと全く自由に作れますよね。そこがVRならではの世界です。VRって「本物そっくり」を電子的に作りあげるところからスタートした技術ではあります。しかし、それだけを徹底的に追及するだけでは、やっぱり本物には勝てないんですよ。

市井  そうなんですよ。さっきの「体験」と一緒ですね。

廣瀬  だから逆にいうと、完璧なリアルをバーチャルで再現しましたっていうのはこの分野では案外成功していないんですよ。バーチャルじゃないとできないことは何かと、徹底的に考えないとですね。

博物館でのおもしろい例を言うと、鉄道博物館にある御料車は大変豪華な車両で、中が絹張りなっています。特に、明治天皇が乗られた150年前の車両などは感動的な室内です。しかし、どんなにキレイに保管していても、その絹を長期間保管しておくのは困難と言われています。絹の保管には湿気が必要です。しかし、それだと鉄の部品が錆びてしまうので、カラカラにしてあるそうです。なので、絹は現在すでにボロボロの状態になっています。

博物館としても、見せないでおいてもそのまま朽ち果ててしまうだろうし、かといって見せたら即座にダメになるだろうと……彼らはものすごいジレンマを感じています。そういう悩みに答えるのがVRだろうということで、360度全天周のカメラで中を撮ってVR化し、バーチャルで体験することはできないだろうかという共同研究が始まりました。

その成果の一部分は、鉄道博物館研究室のホームページで公開されています。

近藤  「可視化」をするということは、アプリケーションがすごく広がるんですよね。

廣瀬  僕らの世代(昭和30年代生まれ)は、初めてテレビを目にした世代です。自分の家の中に映像が入り込んできたのです。その前の世界は映画です。だからパーソナルな形で映像を見た初めての世代が我々なんです。おそらく映像的表現というものに対して、一番身近に感じているのが我々以降の世代ですよね。映像が自然物になっている世代です。

「可視化」するということ自体、ジェネレーションによって形が変わってきています。もっと上のジェネレーションだと静止画かもしれませんし、可視化なんて軟弱なものはいらないというかもしれません。恐らく我々の世代の次にくるのはテレビゲーム世代でしょう。映像は操作に対して反応するのが当たり前の世代です。

 

 

VRの最新技術と活用事例

VRと心理学の重要な関係性
 
市井  最新情報と最新事例でVRの現在、どこまで進んでいるかについてですが、これは、日本の得意分野と合わせて考えたほうがいいでしょうか?

廣瀬  昔のVR第1期VRブームでは、日本の役割はHMD(ヘッドマウントディスプレイ)などのハードウェア担当でした。しかし今日、残念ながら、日本がかつて持っていたハード的な部分は、今は台湾とか韓国とかに持っていかれつつあります。

もっとも、最近のVR研究の主力は、そういうハードウェアよりは、「心理学」のようなソフト的部分に移りつつあります。最近傑作だったのは、眼球センシング機能を持ったHMDの中で、瞬きをしている間に視界の向きを変えるシステムです。だるまさんが転んだみたいに。瞬きをした次の瞬間に視界を微妙にずらしておいても人は気がつかないんですよね。

 

無限回廊©TOKYO UNIVERSITY

市井  「SIGGRAPH」で似たようなものを見ました。円柱のような感じのところを歩いて行く、外から見ると確実にカーブしているのに、HMDで見ている道は真っ直ぐにしか見えない感じ……。本人はずっと真っ直ぐ歩いているつもりでも、微妙にカーブしていてずっと歩けるわけですね。ここがトータル10mしかなくても、100キロ歩いたりできるわけですよね。

廣瀬  『無限回廊』というシステムですね、まさに、「心理学」的VRですよね。実はあのシステムはうちの学生の修士時代の仕事なんです。これからは、こういう研究が増えていくでしょうね。

市井  そうだったんですか。どのように使うアプリケーションがありますか?

廣瀬  その質問をそのままお返ししたいのですが、まさにどんなアプリケーションにしていくかというのがこれからの産業の想像力だと思います。

例えば鉄道博物館で240mくらいある16両の東海道新幹線を展示しようとしたときに、真っ正直にやると240mの廊下がいるわけですよ。それが『無限回廊』の技術を使うとそんな長い廊下を作らなくてもいいのです。1回、本当に展示に使ってみようかというところまでいったのですが、最終的には電車に触られると危険だから少し違うものでやろうかと言う話になりました。

いずれにしても、心理学を使ってこういうスペースの節約ができるというのは、基礎研究でありながら、産業化にとってきわめて重要な研究だと思っています。

 

 

VRが現在どのように産業に活かされているか
 
市井  どこに特化して、どの国がどこでアプリケーションを開発していくかっていうのはこれからですね。

廣瀬  どの国が、という話で言えば、アメリカが最近おもしろくて、ソフトとハードと二極分化しています。コンテンツは、ハリウッドがあるから凄いですよね。その一方で意外に地味なハード研究もしているんです。

市井  地味な研究とはどのような研究ですか?

廣瀬  例えばHMDにおけるレンズ系を根底から考え直してみようというような研究です。あるいはピンと合わせが可変にできるようなものの研究も始まっています。かなり基礎的なハード研究ですね。研究の裾野の広さを感じます。先ほどの瞬きをセンスするHMDなども同じです。

市井  それはどこかでそういうアプリケーションが出てくる、何かが役に立つだろうと思ってやっているんですかね?

廣瀬  アメリカは上手に試す場所があるんです。例えばディズニーランドのように、テレビとは少し違うインタラクティブな映像世界を利用して経済的に成り立つ仕掛けを持っている場所があるんですね。さらに、そこが1軍だとすると、2軍はラスベガスのホテルなどにある1.5流位の映像装置群です。2軍のところで良いものがあると、1軍のところに行くらしいんです。日本はそういう広がりが弱い感じがしますよね。

市井  日本の企業でも、アメリカのそこに乗ればできるということですか?

廣瀬  短期的には良いと思いますが、それではアメリカに産業生態系の上部を握られてしまいます。その辺、もう少し日本は考えたほうが良いと思います。下請け的に言われるがままにやるのではなくて、上の方を握らないといけません。生態系の下層部の悲劇は、先読みができないから、突然何か言われてあたふたする構造にならざるを得ないことです。私はここが今後意識すべき
点だと思っています。この20年くらい、日本産業界は何をやっているんだという感じです。

近藤  私はメーカーにいましたので、VRをトレーニング(訓練)に利用するのはものすごく爆発すると個人的に思っています。トレーニングはいろいろな場所で必ず必要です。全米は各3大メジャー(自動車)だけでもディーラーが7,000ずつあり、2万1,000カ所あるんです。2万1,000カ所の営業マンとかサービスマンを全部トレーニングするために、昔は衛星で飛ばしていました。ヘッドセットとアプリケーションがあればその場で実施できます。近年トレンドのリモートメンテナンスも先生がおっしゃるようにHMDの情報が遠隔で取得できれば、現場にも必要な指示を飛ばせますよね。だから僕はVRは無限のアプリケーションだなとずっと思っています。

廣瀬  おそらくこれは凄く重要なことです。航空機産業にはすでにパイロットのフライトシミュレータがあります。一台の値段は高いけど、フライトシミュレータを使うとリアルでできない訓練ができるから非常に効率が良いらしいです。全体としての訓練コストが1桁ぐらいに下がるらしい。実機だと失敗できないことがバーチャルだともう1回リスタートということができるわけです。バーチャルならではなことも含めると、トレーニングのコストが今までの2分の1くらいになると航空会社の方がおっしゃっていました。

市井  一番大事なところだけできますもんね。

廣瀬  そうです。ですから非常に効率的になるようです。ただ、いかんせんまだ高コストです。パイロット1名の養成にものすごくお金がかかるという状況の中で、フライトシミュレータ、トレーニングの議論がある。パイロットのように養成に大変な金額が必要となるような職種だから、シミュレータが導入されているとも言えます。VRではその辺のコストを大胆に引き下げられるかもしれない。一般企業の接客サービスや窓口アルバイトの育成にフライトシミュレータ並みのものは導入できませんが、VRなら可能かもしれない。

今後、訓練費があまりかけられないような一般的なサービス訓練にもシミュレータの考え方がだんだん入ってくるでしょう。逆にそれを使う人数はパイロットなどに比べて格段に多くなるでしょうから、全体としてのビジネスボリュームは桁外れに大きくなるかもしれないですよね。

ところで医者の世界でもシミュレータが入るのは効果的で、ミスが7分の1に減少すると言っていました。

市井  そんなにですか? 手術だと再現性がないじゃないですか、それができるのはすごく大きいですよね。

近藤  VRが出る前は、一流教授の手術映像をHDで世界中に飛ばしてリアルタイムでかじりついて見ていたっていいます。それがVRだと、何度もシミュレーションできますよね。でも”ライブ”だったら失敗は失敗です。それはできないですよね。大変な投資効果があると思います。

廣瀬  よく動画は安いと言われますが、VRの訓練システムを作っている会社の社長が、逆にVRの方が安いって言っていました。つまり映像だと、説明しようとする時に説明のコンテンツを入れたりと編集をかけたりしないといけないですよね。VRだとサーっと撮ってきてあとは体験させて、足りない部分は副読本を別のところで作ればいいわけです。ですからVRの方が安いのだそうだです。

 

 

VRの持つ可能性でコンテンツ産業に革命を起こす

作り手と見る側の距離感が近い今だからこそできること
 
市井  コンテンツ産業とXRの現在と可能性や広がりについて、サプライヤー側(コンテンツ制作側)のビジネスとしての将来性についてお伺いさせてください。

廣瀬  これは映像関係者が悩んでいるところだと思います。VRはまだそういう意味では本格的にテイクオフしてはいないので、どういう体制になるのかは大きな問いかけじゃないですかね。強いて言えば、コンシューマーだか、サプライヤーだかわからないような人たちが最近いい動きし始めています。

サプライヤー側としては、今は映画の監督のような作る側のプロがいます。大河ドラマもいいなとは思いますが、そうではない分野も出てきています。それをどのように育てていくのかという話だと思いますけどね。

市井  制作側、映画を作る方たちって基本的にはコンシューマーというか、見る人をベースにしてカメラを位置づけるわけじゃないですか、360度になってきて誰がどこを見るかという話にもなりますね。

廣瀬  ウェアラブルコンピュータでライフログをとっていこうという研究プロジェクトのミーティングで、カメラさえつけておけば体験を全部記憶できるという話が出たのです。その時に親しいカメラマンの人は、視点が定まらない状態でのカメラ撮影は許せないと反論していましたね。だけどもしかすると将来、映像が全天周で撮れるのだとしたら、視点が定まるのは後からかもしれないですよね。見る側が選ぶということです。

市井  そうなってくると、要するに1つの作品でいろんな見方ができちゃうから、何をもって作品かって話になっちゃいますね。

廣瀬  そうです。実はインタラクティブは基本的にそれを許さないといけません。本当の意味でインタラクティブの専門家って今はいないのかもしれません。劇作家の仕事もストーリー制作じゃなくなってくるかもしれません。

最近、ニューヨークで建物全体を借り切った演劇が上映されたそうです。建物全体を借り切って、その中で物語が進行するんですよ。観客はその建物の中ならどこへ行ってもいいんです。ただ、ルールが一つだけあって、進行の邪魔をしてはいけない。例えば、プレーヤーに対して触ったり遮ったりしちゃいけない、見るだけというものでした。

市井  その見ている人も含めて捉えているってことですね?

廣瀬  ある部屋だけ見ているとその部屋で何かが起こることをずっと待ち構えてるという定点観測にもなるし、可愛い女の子をずっと追いかけていくとその女の子を中心とした物語が展開していくような、多様性に満ちたストーリーがそこにはあります。

市井  それは大変ですねぇ。

廣瀬  いや、だけど映画にしても基本的には、何か見て、何を感じるかは実はさまざまなんですよね。そういう意味では、なにもそんなにあたふたしなくてもと思います(笑)。

市井  でもみんなで一個の同じものを見ているのとは全然違いますよね(笑)。

廣瀬  同じようなものですよ。例えば『男はつらいよ』は、鉄道好きの視点から言えば柴又の駅の定点観測なんですよ。私はその視点で見てますけどね(笑)。

 

 

未来は行動誘発がシナリオに……?

廣瀬  監督にとってみるとユーザー(見ている人)の関与っていうのはコンタミネーション(汚染)以外の何物でもないですよね。ただし、インタラクティブな状況において、ユーザーの関与は遥かに重要な意味を持ちます。

逆にユーザー(見ている人)たちが積極的に何かを感じようとするなら、ユーザーの民度も上がってこなければいけないと思います。博物館へ行くというような感じかもしれません。そういう意味では歴史的なコンテンツは意外におもしろいのかもしれないですね。視点ごとに切り替えるとおもしろいことがたくさんわかりますからね。想像もつきませんが、VRって基本的にそういうものですよ。

市井  なんか今の話を聞いていると、今日は誰の視点で一日見ていきますみたいな遊び方ができますね。

廣瀬  完全にユーザー任せのインタラクションだけだと、ユーザーが相当なレベルにないと楽しみ方が分からないですよね。ですから私たちは「行動誘発」にも注目しています。

VR研究センターでやってみる予定の研究に「デジタルミュージアム」があります。これは博物館という文脈でVRをいろいろな方向から考えて見るという研究テーマです。博物館との共同研究は先の御料車のように既にいろいろやっていますが、おもしろいことに、画面をテレビだと思っている年配の人にHMDを渡して「体験してみてください」と言っても、かけたままの状態でじっとしているんですよね。見回してくれないのです。

市井  動くという発想がないんですね。

廣瀬  動かないと何も起こらない(笑)。子供だと普通は動きますよね。歌舞伎で「いよっ!」っと、合いの手を入れるのと同様に、正しい鑑賞のリテラシーが必要になるんですよね。そのときに少しでも動く仕掛け作ってあげるとその後はスムーズです。インタラクティブには、「行動誘発」が実は必要です。パーフェクトな「行動誘発」ができれば、ほとんどは映画でもいいんです。自分がインタラクティブに操作しているという実感が大事です。自由に振る舞わせているように見せながら、上手に「行動誘発」をして、どんどん自分の世界へ導いていくのが将来の映画監督の仕事かもしれないですね。

市井  そういう意味では、選択させるゲームのフェーズに近い話ですよね。

廣瀬  そうです。下手な遊び方をすれば、「このゲームはなんだったの?」になってしまう可能性をできるだけ減らしつつ、知らずしらずのうちに上手に一つの結果に誘導するスキルが重要だと思います。

市井  先日、バンダイナムコの「VR ZONE SHINJUKU」に行ってきました。そこの川下りのアトラクションで、行先を左右で選べるはずなのに、どうしても片側へ行ってしまうことを体験しましたね。もしかするとセットされていたように感じました(笑)。

廣瀬  最新事例の話になりますが、インタラクティブな映像ではないのに、あたかもインタラクティブのように見せる仕組みも作られたりしています。やはりあらかじめ準備したストーリーのうち、ここだけは見て欲しいという部分はありますよね。だから先ほどの川下りのアトラクション場合も、どうしても行かせたい方向に誘導するんですよね。

市井  「行動誘発」ですね。

廣瀬  「行動誘発」と「自己操作感」。自分でやっている感、これもまた心理学になるんですけれどもね。

市井  心理学の部分が大きいですよね、先ほどのお話でもずっと。

廣瀬  心理学って非常に基礎的な分野でありますが、これからのVR研究における心理学の役割は物凄く大きくなると思いますよ。

市井  そうなると、将来的なコンテンツのアイデアなども出てきますよね。

廣瀬  「メジャーなインタラクティブ映像メディアはないか?」と、先日映像メディア学会の巻頭言に書きましたけれども、本格的なインタラクティブの映像世界はまだまだです。やっぱりテレビはまだまだメジャーなメディアで、依然として大きな影響を与えています。でも、テレビ離れが激しいことも事実ですよね。

 

 

リアルにはない「体験デザイン」をVRで実現する
 
廣瀬  これからのVRは外側の生態系を作っていかないといけないでしょう。

市井  それはどう言う意味ですか?

廣瀬  課金体系とか遊びかたとか、VRそのものというよりは、その周辺の話です。

近藤  「体験」というのが一つの大きなプロジェクトじゃないですか、体験をデザインするということが今までのエンターテイメントの世界ではないんですよね。それこそディズニーランドはすごく作りこまれていますが、映像やVRの中で体験をデザインするっていうプロフェッショナルが出てきて初めてそれが成り立つと言いますか……。

廣瀬  しかもそれはインタラクティブな場合、固定的にデザインできないところが凄く厄介ですし、だからこそおもしろいところでもあると思います。作家個人でできることってもう割と限られてきてしまっていて、これからチャレンジングなのは外部開放系、なにかと接続した形のコンテンツを作っていける能力ですね。

VRを体験するレベルまでくると、ユーザーによるコンタミネーションなど、ノイズが凄く入ってきますよね。だからそれに対して強靭なコンテンツを作らないとノイズの中に埋もれしまうということです。

例えば野外コンサートの周りの虫の音がすごいようなところで、それを借景として使うようなものです。それによって付加価値を上げるようなデザインができたらすごいですよね。

ある意味ではこれまでのテレビはものすごくやり易いフレームワークだったのかもしれない。「番組」という閉鎖的世界の中で一生懸命作れば良かった、その中でいいものを作ればそれが一気に放送によって広がるから、物凄くコストエフェクティブだったわけです。

 

これからの映像業界でVRをどう活用するか――『ブラタモリ』もVR的?
 
廣瀬  オリンピックで期待されるのは、360度放送のようなことをやってみるのがおもしろいと思います。おそらくどこかが必ずやると思いますが。日本ではないかも。成功事例も失敗事例も分かるから、とにかく早くやってみたほうがいいと思います。

近藤  カメラが凄く安くなったので、全視点で撮っているんですよね。なので、デジタルデバイスで自分が見たい視点のポイントを選択すれば、その視点から動画が見られるような仕組みもすぐにできていくと思います。

廣瀬  ポイントはそれだけ詳しく知りたい「オタク」な人がどのくらいいるかなんですよね。

市井  ガイドラインのようなサンプルがいくつかあった方がいいのかもしれませんね。

廣瀬  どのくらいの需要があるのかは、やってみないと分からないと思うんですよ。やってみたら予想以上に需要があったというような例もあります。NHKの『ブラタモリ』だって、最初は結構いろいろ言われたようです。でも一目見たときから、これはVR的だと私は思っていました。なので、『ブラタモリ』のプロデューサーの方にVR学会でお話してもらったこともあるんです。

そもそもどうして『ブラタモリ』という番組が成立したかと言う話をしていただきました。彼がNHK入局後で最初に手がけたのが、「青森に熱帯魚がいる」というニュースだったそうです。彼は身近に意外とそういう小ネタがウケることを体験していたんです。ほとんどの視聴者は「オタク」でありませんが、「オタク」が何かにのめり込む姿は、一般性のあるコンテンツだということを、彼は実感として理解していたんですね。

『ブラタモリ』の企画を上げた時、「そんな番組は深夜放送枠でやったほうがいい」ってみんなには言われたらしいのですが、「絶対一般枠に持ってきても成立するはずだ」と、主張したそうなのです。そもそも『ブラタモリ』の視点はものすごく多くて、語りたいことがたくさんあるものの一部しか放送できていません。本来はその切り口の部分をじっと観察できればいいのですが、そこは地上波放送の限界にぶち当たるわけです。そこをVRなりが引き受けられればいいかなと。

ソニーミュージックでは、アニメの聖地巡礼に取り組んでいる方たちがいます。これはある映画のあるシーンをダウンロードさせておいて、ある場所へ行くとその映画のシーンを実際に見て楽しめて、キャラクターと一緒に写真も撮れるというAR(Augmented Reality、オーグメンテッド・リアリティ)のサービスです。でも、まだ趣味人口自体が少ないので、そこの開拓に少し苦労をしているようですね。『Pokémon GO(ポケモンGO)』では、そのあたりの問題を見事に解決できましたけれどもね。

市井  結局アプリケーションの問題ですか? 技術というよりは、そういうところでしょうか。

廣瀬  そうではありません。基本技術も重要です。日本の場合、『Ingress』(イングレス/ゲーム)に相当するものを作っている人が皆無ということが問題だと思います。『Pokémon GO(ポケモンGO)』をつくる技術を持っている人はいますが、『Ingress』のような『Pokémon GO』を生み出す基本構造を作れるような技術者集団がいないのが問題なのです。

市井  それは今後の重要な課題ですね。

本日は廣瀬先生がお考えの「体験」「遠隔」「可視化」の3つの講義を中心に具体的な応用事例を交えてお話を伺うとともに、VR普及・応用にとって「心理学」「メンタル」の効果を考えることが重要であることをご教授いただきました。ありがとうございました。

 

 

 

廣瀬通孝 Michitaka HIROSE
東京大学大学院 情報理工学系研究科 教授

  • 1977年東京大学工学部産業機械工学科卒業、1979年同大学大学院修士課程修了、1982年同大学大学院博士課程修了。同年東京大学工学部産業機械工学科専任講師、1983年同大学助教授、1999年同大学大学院工学系研究科機械情報工学専攻教授。同年同大学先端科学技術研究センター教授、2006年同大学大学院情報理工学系研究科知能機械情報学専攻教授、現在に至る。主にシステム工学、ヒューマンインタフェース、バーチャルリアリティの研究に従事。工学博士。1996年、日本バーチャルリアリティ学会の設立に貢献し、会長を務めたのち現在同学会特別顧問。東京テクノフォーラムゴールドメダル賞、電気通信普及財団賞などを授賞。主な著書は、『技術はどこまで人間に近づくか』(PHP研究所)、『バーチャル・リアリティー』(産業図書)、『バーチャルリアリティー』(オーム社)、『電脳都市の誕生』(PHP研究所)など。


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