VIPO

インタビュー

2020.03.23


映画ファンのための映画アーカイブ最新事情――知られざるノンフィルム資料の価値
映画には、それにまつわる多くの資料が存在します。私たちの生活に近いところにあるポスターやパンフレットなどのフィルム以外の映画資料はノンフィルム資料と呼ばれ、映画制作の背景や工程、流通を知るための重要な資料としてアーカイブに収蔵されています。このノンフィルム資料の保存と利活用方法、今後の課題や期待などを、独立行政法人国立美術館 国立映画アーカイブ(NFAJ)主任研究員の岡田秀則氏に伺いました。

(以下、敬称略)

 
 

ノンフィルム・アーカイブの重要性を広め利活用してもらう

映画保存に力を入れる組織になるまでの経緯と組織の役割

フィルムセンターから独立組織「国立映画アーカイブ」へ
 
国立映画アーカイブ 主任研究員 岡田秀則氏VIPO事務局次長・映像事業部長 槙田寿文(以下、槙田)  国立映画アーカイブの沿革と事業概要を教えていただけますか?
 
国立映画アーカイブ 主任研究員 岡田秀則(以下、岡田)  2018年4月から「国立映画アーカイブ」という名前で活動しています。それ以前は、京橋で東京国立近代美術館(1952年、当時は国立近代美術館として開館)の映画部門のフィルムセンターとして活動していました。長年、東京国立近代美術館は美術・工芸・映画の3部門で成り立っていたのです。
 
フィルムセンターは利用される方の多くにとって、古今東西の名作映画を、国・監督・映画会社などといった切り口で見ることができる国立の名画劇場という印象をお持ちになっていたと思います。ただ、上映をするということは、映画という遺産を使うということであり、その一方で当時は文化財としての映画を守るところが無い状況でした。
 
国立映画アーカイブ外観
国立映画アーカイブ外観
当館の現館長である岡島尚志をはじめ、私たちの先達が世界のフィルムアーカイブを調べた結果、日本も映画保存に力を入れなければならず、フィルムセンターがその役割を持つべきだと考え、80年代から具体的に動き始めました。1984年のフィルムセンターの火災をきっかけに「映画はきちんとした保存施設で守られるべきものだ」という世論が高まり、フィルムセンターは“映画を守る機関”として新たに舵を切るようになったのです。それが実現したのは1986年、相模原分館という映画フィルムの保存施設です。実は火災以前からこの建設は計画されていたのですが、それ以来、上映だけでなく映画を守る映画専用の保存庫をもったフィルムセンターになりました。
 
槙田  1970年代は、普段見られないような映画を数多く上映していましたよね。多くの若者が並んでいた記憶があります。イチ映画ファンとしては火事のときにはとても心配しました。
 
「生誕100年 川喜多かしこ展」チラシ
「生誕100年 川喜多かしこ展」チラシ
岡田  1970年のフィルムセンターの創立に関わった重要人物に、外国映画の配給に長く関わっていた川喜多かしこさんがいらっしゃいます。川喜多さん(「生誕100年 川喜多かしこ展」)は、1950年代から海外を見てまわる中で、「日本にも本格的なフィルムアーカイブを設立すべきだ」と、業界に働きかけたり、海外事情を調査する事業をしたり、長年その設立に向けて尽力されていました。
 
しかし1970年の時点では、国立の映画機関を作るとしたら、開館以来「フィルム・ライブラリー」という名で上映活動を続けていた東京国立近代美術館の傘下に置くことが一番良い選択だと判断されたと思います。
 
槙田  そうだったんですね。
 
岡田  1989年には各国の映画保存機関が加盟する国際フィルムアーカイブ連盟の準会員になり、1993年には正会員に昇格、正式に世界の仲間入りをしました。
 
しかし、世紀をまたぐ頃から、フィルムアーカイブは美術館の傘下ではなく、「映画の専門組織として独立するべきだ」という考えが議論されるようになりました。
 
長い年月がかかりましたが、ようやく2018年4月、他の国立美術館と同格の組織である国立映画アーカイブの設立に至ります。“映画”という語を館名に入れたこと、国立組織として日本で初めて“アーカイブ”という語が採り入れられたことは大切なことです。「守ること」と「見せること」の両輪を回しながら事業を進めることが理念として明確になったからです。
 
槙田  今後、広くアーカイブの重要性を理解してもらうためには大事な理念ですね。その「守ること」、保存事業の概要を教えていただけますか?
 
岡田  保存事業は、単に湿度・温度環境を整えた保存室を用意するだけのことではありません。その前に、収蔵する映画の作品レベルの情報と、フィルムの特性や状態などの物理的な情報をデータベース化して目録化することが必須です。そして保存庫内に適切な住所を設定して、アクセスに対していつでも対応できるようにする必要があります。
 
国立映画アーカイブ  館内事務室壁面には過去の展示ポスターが貼られている
国立映画アーカイブ
館内事務室壁面には過去の
展示ポスターが貼られている
1995年に新築された現在の建物は、大小2つのホール、展示室、図書室があります。旧来から行われてきた上映のほかに、展示室を持つことで、いろいろな展覧会を定期的に行えるようになりました。これも事業の拡大としては大きな意味がありました。
 
槙田  現在収蔵されている映画の本数は、どのくらいですか?
 
岡田  2019年3月末のデータになりますが、
・日本映画 71,323本
・外国映画 9,512本
合計80,835本となっています。
 
1本の映画でもネガ、マスターポジ、フィルム、プリントなど世代がありますので、タイトル数ではなく本数ということになります。

ノンフィルム・アーカイブとは
 
槙田  ノンフィルム資料の内容とアーカイブの一般的な状況を教えていただけますか?
 
国立映画アーカイブ常設展「NFAJコレクションでみる 日本映画の歴史」
国立映画アーカイブ常設展
「NFAJコレクションでみる 日本映画の歴史」
岡田  ノンフィルムには、スチル写真、ポスター、シナリオ、プレス資料、図書・雑誌、映画人の遺した資料などの紙資料、そしてカメラや映写機といった技術資料など数限りなくあります。現在、徐々にその価値が理解されるようになってきたと思います。
 
映画の遺産と言えば、ほとんどの方がまず映画フィルムそのものを想像するでしょう。私たちもフィルムセンター時代から映画フィルム自体を保存することをミッションとしてきました。そのため、ノンフィルムの分野は後回しにせざるを得ませんでした。これは、実は世界的に先進的なフィルムアーカイブでも同じ状況であることが、後に海外のアーカイブを調べてみて分かりました。しかし、1990~2000年代あたりから、ヨーロッパなどのフィルムアーカイブはノンフィルム資料にも本腰を入れ始めました。
 
一方、かつての日本ではフィルムアーカイブもそのような状況でしたし、元々映画業界にもノンフィルム資料を大事にするという発想が薄く、むしろ一部のコレクターの方々がずっと人知れず収集を頑張っていたのです。
 
例えば、国立映画アーカイブのノンフィルム資料の柱とも言える「みそのコレクション」は、その典型的な例です。御園京平さん(1919年~2000年)は、生涯を映画収集に捧げた方です。ポスター類は生前に、それ以外の品は遺言に従って、ご遺族からご寄贈いただきました。そのコレクションは、ポスターのほか、戦前・戦中期を中心とする映画雑誌、スチル写真その他さまざまな資料から成り立っています。コレクターさんが奮起していた時代を超えて、ようやく私たちのような公的な組織にバトンタッチされるようになったのです。
 
槙田  ノンフィルムの収蔵数(2019年3月末現在)は
・映画関係図書(和書) 43,604点
・映画関係図書(洋書) 5,316点
・シナリオ 約47,000点
・ポスター 約59,000点
・スチル写真 約733,000点
・プレス資料 約65,000点
・技術資料 約700点
となっていますね。
 
岡田  大半は登録されましたが、まだ終わっていません。しかも、世の中には廃棄されてはならない重要資料がまだまだ多く、現在も次から次へと資料を受領しています。そのようなわけで膨大な数の資料が未整理のままなのですが、目録化を担当する人材と収蔵場所の不足という問題を抱えています。

ノンフィルム資料で映画の文化・コンテクストを知る
 
槙田  ノンフィルム・アーカイブの意義を伺ってもよろしいですか?
 
岡田  “映画”という文化全体を考える時、フィルムを残し、それを見るだけでは映画を理解したことにはなりません。
 
まずは、映画が作られるまでの過程を考えてみれば、脚本家の生原稿から製本されたシナリオ、美術監督のデッサンや図面、製作資料や監督のメモ書き、アニメーションのセル画、カメラや撮影に関わる資料など、それぞれの職能ごとに資料が存在します。
 
また、映画が完成してからも膨大な量の紙資料が制作されます。世の中に流通させるためには宣伝が欠かせないため、ポスターや宣伝用のスチル写真、プレスシート、映画パンフレット、個々の映画館にかかわる資料も無数にあります。
 

トーキー革命へ 1930年代
第二次大戦後の黄金時代1945年~1950年代
日本のアニメーション映画

国立映画アーカイブ常設展 左より<トーキー革命へ 1930年代>、<第二次大戦後の黄金時代1945年~1950年代>、<日本のアニメーション映画>のコーナー

 
槙田  その全てから映画という文化が成り立っているわけですね。
 
岡田  はい。最近では、映画の歴史を考える際に「映画館」という場所への注目が集まっています。現在、多くの映画館はシネマコンプレックスですが、近代史の中で、映画の初期からそれまでの時期の映画館とはどのような空間だったのかを、本格的に検討する時代になりました。昨年には、建築史家の藤森照信先生が明治・大正期から昭和初期までの映画館建築を初めて考察した本『藤森照信のクラシック映画館』を出版されました。
 
槙田  映画全盛時代は、各地域で映画館は時代の先端にあり、中心的なものでしたよね。東京以外にも豪華な映画館がたくさんありました。そしてそこを中心に地方文化が構成されていた面もありました。
 
岡田  そうですね。映画が娯楽の一形態であることは間違いありませんが、同時に芸術という側面も持っています。
 
映画のポスターは、今ではあまり街中には貼られなくなりましたが映画館の壁には盛んに貼られていますし、映画のスチル写真は新聞・雑誌や、今ではネット上に掲載されています。それらはたとえ映画を観なくても目にするものであり、世の中で多くの人たちの視線に触れています。私たちの暮らしの中に存在しているという意味で、ノンフィルム資料はむしろ“生活文化”だと考えています。
 

展覧会を通じて日本の映画文化を発信する

日本独自の映画パンフレット
 
国立映画アーカイブ館内事務室 壁面
国立映画アーカイブ
館内事務室 壁面
岡田  先ほどもお話しました通り、1995年から当館は展示室での事業を始めました。また2000年に映画資料を専門的に扱う部署を持つようになりました。私が映画資料や展覧会に関わり始めたのは2007年からです。展覧会については、企画展の発案や運営を行っているほか、2011年にはそれまでの常設展を「日本映画の歴史」としてリニューアルしました。
 
日活映画の100年 日本映画の100年」や、「生誕110年 映画俳優 志村喬」などは、映画会社や監督、俳優と映画の歴史の中で非常に大切で意味のある展覧会です。
 
槙田  岡田さんが企画された展覧会の中には、映画館の写真「写真展 映画館 映写技師/写真家 中馬聰の仕事」、映画の本(「シネマブックの秘かな愉しみ」)映画雑誌(「映画雑誌の秘かな愉しみ」)、映画パンフレット等、映画の資料をそのまま主題とした企画がありましたね。しっかりと展示されていて大変興味深かったです。
 
岡田  2011年の「映画パンフレットの世界」は、映画資料そのものに関心を持っていただきたくて開催しました。誰でも映画館で買えるものですから、パンフレットを集めていた方は多いと思います。映画ファンの方々にとても身近な映画資料なので、その世界を探求したいという想いがありました。
 
「映画パンフレットの世界」チラシ
「映画パンフレットの世界」チラシ
槙田  パンフレットの例でわかるように、日本人は紙物に対する偏愛のようなものがありますよね。ミニシアター系のパンフレットは内容がとても詳しく、日本人の知的欲求はすごいと思いました。
 
岡田  映画を観た後にパンフレットを買うという文化は日本以外にはほとんどないです。このメンタリティは特徴的ですね。

映画資料にも、それぞれの国ごとに特徴があって面白いですね。例えばフランスやイタリアには映画のスチル写真を使って作られた、一種マンガのようなコマ割りを持つ『シネロマン』という冊子があり、書店で売られていました。
 
槙田  ノンフィルム資料の接点部分を見ていくと、文化比較にもなるのですね。
 
岡田  当館では、ノンフィルム資料の中でもまずポスター、スチル写真、シナリオの整理を優先的に進めてきたので、映画パンフレットは受領しても箱を開ける余裕さえなく手つかずになっていました。しかし2008年に閉店する渋谷のシネマショップから多くのパンフレットをご寄贈いただいたことがきっかけで、スタッフに奮起してもらってリスト化して図書室に置き、かなりの数がいつでも閲覧できるようになりました。書店では売られない映画パンフレットはISBNコードがないため、出版界では正式な書籍とは見なされていません。国会図書館にもあまり集まらないので、「私たち映画専門の資料館がやらないで誰がやる」という使命感がありました。ただし、同じ作品でも複数の版があったり、リバイバル上映ごとに発行したりするなど、映画パンフレットには独特の出版文化があるので、探求すればするほど深い世界だと思います。
 
槙田  地方版も作成していますよね。
 
岡田  パンフレットが現在の形態で劇場で売られるようになったのは1947年の有楽町スバル座からです。それまでのものは「映画館プログラム」と呼ばれ、映画館ごとに薄いものを作り無料で配布されていました。映画資料そのものが、どのような位置づけで作られていて、どのような歴史をたどってきたのかを理解しないと、正しいアーカイビングはできないと思っています。
 

国によって変わる映画ポスターの奥深さ
 
「無声時代ソビエト映画ポスター展 東京国立近代美術館フィルムセンター所蔵《袋一平コレクション》より」チラシ
「無声時代ソビエト映画ポスター展
東京国立近代美術館フィルムセンター所蔵
《袋一平コレクション》より」チラシ
槙田  この10年、岡田さんは、海外や日本のポスターの企画展を定期的にやられていますよね。どのような意図ですか?
 
岡田  ノンフィルム資料の中でも、社会にいちばんアピール力のあるスター的な存在はやはりポスターだと思うんです。そして、映画のジャンルごとにポスターを紹介することも大切なのですが、今どきアメリカも日本も画一的なポスターが多くなってきている中、むしろ映画ポスターをアート作品として成立させた国々に注目をしました。そのきっかけは、私たちが所蔵している初期のソビエト映画ポスター「無声時代ソビエト映画ポスター展 東京国立近代美術館フィルムセンター所蔵《袋一平コレクション》より」です。それは1930年、袋一平(1897年~1971年)というロシア文化の研究者が、ソ連に招かれてモスクワとレニングラードなどで日本映画の上映会をした際にもらってきたものです。革命数年後のソビエトの映画グラフィックは、当時の最前線のグラフィックアーティストに作らせていたので、非常に尖鋭的なものでした。
 
「国立映画アーカイブ開館記念 没後20年 旅する黒澤明 槙田寿文ポスター・コレクションより」チラシ
「国立映画アーカイブ開館記念
没後20年 旅する黒澤明
槙田寿文ポスター・コレクションより」チラシ
リトグラフ印刷による大型ポスターが特徴のフランスの戦後映画のポスター展「フランス映画ポスター名品選 国立映画アーカイブ デジタル・コレクションより」の後には、チェコの映画ポスター・ギャラリーとの連携で、プラハ直送の映画ポスター展「チェコの映画ポスター テリー・ポスター・コレクションより」が実現し、さらに、シルクスクリーン印刷で世界的な定評のあるキューバ「キューバの映画ポスター 竹尾ポスターコレクションより」のポスターも紹介できました。 東西ドイツの映画ポスター展「戦後ドイツの映画ポスター」を開催し、そしてこの度、ようやく真打ちとも言えるポーランド「日本・ポーランド国交樹立100周年記念 ポーランドの映画ポスター」も行うことができました。
 
国立映画アーカイブの開館のタイミングには、「国立映画アーカイブ開館記念 没後20年 旅する黒澤明: 槙田寿文ポスター・コレクションより」展を開催しました。大変すばらしい開館の記念になり、多くの方々の支持を得ることができました。
 

国内外で横のつながりを持つ重要さ
 
槙田  今、ノンフィルム資料はどのように収集しているのでしょうか?
 
岡田  私たちがフィルム以外の映画資料を集めている認識が高まってきたのか、コレクターや映画会社、一般ファンの方々からのご寄贈が増加しています。さまざまなケースがありますが、映画史を専門とする私たちも知らなかった興味深い歴史的文脈を、そういった寄贈案件を通じて知ることがよくあります。
 
対談の様子槙田  岡田さんは、全国で映画資料を所蔵している機関の情報を載せた『全国映画資料館録』をまとめられていらっしゃいますね。
 
岡田  はい。私は、全ての映画資料が国立映画アーカイブに集まればいいとは考えていません。全国の各映画資料館のそれぞれの強み、どこが何を持っていて、どのような活動を続けているのかを把握して共有し、情報交換できるようにしたいのです。各資料館のネットワークをうまく作ることが一番大切だと思っています。
 
最近の良いニュースの一つは、VIPOに委託された文化庁事業を通じて京都の東映太秦映画村資料館の所蔵品の活用について新展開があるという話ですね。
 
槙田   ありがとうございます。VIPOとしても文化庁事業に協力して、京都からスタートして全国の映画資料館をうまくつなぐ活動をしていきたいと思っています。
 
今後、地方の資料館との共同企画は視野には入っていますか?
 
岡田  これはまだ夢のようなアイデアですが、各資料館の貴重な資料や私たちの所蔵品を、パッケージ化して巡回展に構成していきたいと考えています。
 
槙田  海外の展覧会などの受け入れについてはいかがですか?
 
「ジャック・ドゥミ 映画/音楽の魅惑」チラシ
「ジャック・ドゥミ 映画/音楽の魅惑」チラシ
岡田  世界的には映画の展覧会は拡大傾向です。しかし、「スタンリー・キューブリック」展のように世界をまわる大規模な展覧会の受け入れ先が日本にはありません。2015年、森美術館での「ティム・バートンの世界」展が唯一うまく成立した例ですね。こうした企画は、受け入れるだけでも予算がとてもかかります。スポンサーを順調に得るなどして、海外からの企画展が成立するようにしたいです。世界をまわっている展覧会が、日本に来ないのはもったいないです。
 
槙田  テレビ局主催の「最後のスター・ウォーズ」展もうまくいっていましたね。
 
岡田  そうですね。2014年の「ジャック・ドゥミ 映画/音楽の魅惑」展は、パリのシネマテーク・フランセーズ*で開催した展覧会を日本用に縮小して企画してくれたものです。「小津安二郎の図像学」チラシ
「小津安二郎の図像学」チラシ
2009年に私が2ヵ月間シネマテーク・フランセーズの研修生となり、コレクションの中身や運用の仕方など、ノンフィルム事情を学んだこと、そしてその際に築いた人脈がベースとなっています。

*パリにある1936年創立の映画保存機関。フランス政府が大部分を出資し、映画遺産の保存、修復、上映を目的とし、4万本以上の映画作品と、映画関連資料などを所蔵。

 
槙田  東京の展覧会が海外へ行くこともありますか?
 
岡田  2013年に開催した「小津安二郎の図像学」は、フランスの映画雑誌『カイエ・デュ・シネマ』にも取り上げられましたし、評価は得られる自信はあるので海外に持って行きたいのですが、各方面の小津関係のコレクションをお借りして成立した企画でしたので、アレンジは簡単ではありません。

ノンフィルム資料の利活用と今後の課題

デジタル化が、映画資料の利活用と保存性を高める
 
槙田  今後の利活用の方向性はどのようにお考えですか?
 
岡田  今さらかも知れませんが、やはりキーとなるのはデジタル化です。映画資料はただ保存しているだけでは社会から注目されないので、適切なプロデュースが大切です。2014年以来、デジタル化を進めていますが、一番目覚ましい成果が出ているのが、映画雑誌のデジタル化で、現在、図書室のモニターで戦前期の映画雑誌が900冊以上閲覧できるようになっています。デジタル化によって現物を出さずに済むので、保存の視点からも良いことです。これは一番早く結果が出せた成功事例ですね。
 
槙田  デジタル化後の見せ方を工夫すると、もっと利活用できますね。
 
国立映画アーカイブ常設展<第二次大戦後の黄金時代>
国立映画アーカイブ常設展
<第二次大戦後の黄金時代>
岡田  そうですね。ポスターのデジタル化も大変意味があります。戦前期の貴重なポスターは、複製品が作れるほどの高い解像度でデジタル化をしています。ポスターの現物は美術品扱いとなるため、湿度・温度環境を守った場所でしか展示ができませんが、現物とほぼ変わらない複製品の作成によって、決められた空間以外でも展示ができるようになりました。
 
現に、東京駅の地下のギャラリーや、京都国立近代美術館、国立国際美術館(大阪)のロビー、地下鉄銀座駅コンコースなど、小展示を実施して活用場所が広がってきています。
 
槙田  公共施設でも行っていますよね。
 
岡田  東京都千代田区にある人気のアートスペース「アーツ千代田3331」では「映画ポスター モダン都市風景の誕生」展を開催し、戦前の日本のモダニズムを象徴するような映画ポスターを紹介するとともに、往年の映画館を紹介するデジタルサイネージを設置しました。

フィルムアーカイブを身近に活用できるようにするためにすべきこと
 
槙田  今後の課題・将来像をお聞かせいただけますか?
 
国立映画アーカイブ常設展<サイレント映画の黄金時代 1920年代>
国立映画アーカイブ常設展
<サイレント映画の黄金時代 1920年代>
岡田  世の中とノンフィルムとの関わりを、もっと身近にするためには、アクセスを簡易にすることだと考えています。
 
映画会社が著作権を持っている資料は、現物の貸し出しはできても、書籍への画像掲載やマスメディアなどでの公開などは、その会社に許可をとってから、私たちに申請していただく流れになっています。
 
アメリカには、“フェアユース”という考え方があり、学術論文や非営利の使い方ならば、資料はかなり自由に使えます。日本ではそこまで確立されていないので、業界とアーカイブを利用したい方との交通整理をしていきたいです。
 
槙田  制度化できれば一般の方が資料に触れる機会が増えるので、振興にもつながりますね。“フェアユース”は個人的にも大きな課題だと思っています。日本の場合はすごく厳しいですからね。
 
岡田  会社によって対応も違います。論文や研究書に画像が載って注目されることによって、その映画に対するニーズが高まり、最終的にはDVD、ブルーレイの発売や配信につながるようなところまで理解されるといいですね。
 
槙田  映画研究の本でも、映画の写真が1枚もないことがありますからね。
 
少し大きな話ですが、ポスターをはじめ、さまざまな画像は目的によって、ある程度自由度が認められたほうが業界としても良いと思える枠組み作りが必要だと思います。

アーカイブの時代に映画資料をどう残すか
 
槙田  最後に、ノンフィルム・アーカイブについて、国、映画業界、映画人に期待することはありますか?
 
国立映画アーカイブ常設展<特別出品コーナー>幻に終わった黒澤明監督版『トラ・トラ・トラ』(1968年)の撮影台本
国立映画アーカイブ常設展<特別出品コーナー>
幻に終わった黒澤明監督版『トラ・トラ・トラ』
(1968年)の撮影台本
岡田  映画資料の利用をめぐる包括的な制度を作るべきだと考えています。映画資料の著作権にはあいまいなところも多い中、すべてのセクターの方々が議論をするところから始めるべきだと思っています。
 
それと、お持ちの映画資料を捨てないで欲しいです。貴重なはずの資料が捨てられてしまったという話を聞くことがよくあります。映画資料は持っている方が想像しているよりも文化的・学術的な価値が高い場合があるので、そこは社会全体に広く認識していただきたいところです。
 
槙田  価値がわからないと、簡単に捨てられてしまう危険性がありますよね。
 
岡田  そうなると研究者の出番ですね。例えば、映っている人物が誰かわからない写真や、タイトルが変更された作品の資料を読み解ける方の存在は大切です。
 
私たちの受領資料の中にもアイデンティファイできていない資料が大量にあります。
 
槙田  時間もかかるし、膨大な資料を見ないとわからないことですね。とにかく根気のいる地味な仕事だとは思いますが、とても重要だと思います。世界のノンフィルム・アーカイブに関しては、世界的にみても、フィルムに比べれば遅れたとは言え、今はかなり活発化していると思います。私たちVIPOもできる限りご協力させていただくつもりです。
 
岡田  映画の「資料」というと堅苦しく思われるかも知れませんが、実は私たちの生活に深く根ざしたものです。それらを、大衆性と専門性のバランスを取りながら的確にプロデュースすることで、映画そのものの素晴らしさの向こう側に、映画がもたらした豊穣な文化的風景が広がっていることを多くの方に知ってほしいと思っています。
 
槙田  本当にそうですね。本日はありがとうございました。


 

(左から)岡田氏、槙田

 
 

岡田秀則 Hidenori OKADA
国立映画アーカイブ 主任研究員

  • 1968年生まれ。国際交流基金を経て、1996年より東京国立近代美術館フィルムセンターに勤務。映画のフィルム/関連資料の収集・保存や、上映企画の運営などに携わり、2007年からは映画関連資料のアーカイビングと映画展覧会のキュレーションを担当。また内外の映画史を踏まえた論考、エッセイを多数発表している。単著に『映画という《物体X》』(2016)、編著に『そっちやない、こっちや 映画監督・柳澤壽男の世界』(2018)、監修書に『時代と作品で読み解く 映画ポスターの歴史』(2019)など。

TOPへ↑

 
 


新着のインタビュー記事はメールニュースでご案内しています。
よろしければ、こちらよりご登録ください。

メールニュース登録


インタビューTOP