エンタメに対する欲求は不変。時代に応じて素晴らしい作品を届けることしかない―― ユニークな発想を生み続けるソニー・ミュージックエンタテインメント代表取締役社長 CEO 村松俊亮氏に聞く(VIPOアカデミー「コーポレートリーダーコース」経営者講演より再構成)
- 「情熱が枯渇したときが一番まずいです。枯渇しないようにすることが課題」。今回はソニー・ミュージックエンタテインメント 代表取締役社長 CEOとして、ヒットコンテンツの創出を牽引し、常に新たなチャレンジを生む環境を作り続ける村松俊亮氏に、部下との向き合い方や、働く上での心得などご自身の体験を通してお話いただきました。
(※本記事はVIPOアカデミー「コーポレートリーダーコース」講演を一部抜粋・再構成したものです。)
(以下、敬称略)
設立以来のチャレンジ精神を誰も邪魔しない土壌や風土がある
ソニー・ミュージックエンタテインメントのカルチャー
- ◆ユニークな求人広告
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ソニー・ミュージックエンタテインメントの社長として、会社の概要と私の経歴をお話しします。
53年前の1968年、アメリカのCBSとソニーの合弁契約で日本の海外資本自由化の第1号としてCBS・ソニーレコード株式会社がスタートしました。20年後に100%ソニーの資本になり、1991年、現在の社名、株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメント(以下、SME)に変更しました。
SMEの性格を端的に表しているのが、53年前設立当時の求人広告です。応募資格に「国籍、年齢、性別学歴、身体障害の有無一切問いません」「CBSソニーで音楽の夢を実現したい人、とにかく入りたい人」などと、ユニークな求人広告を出していました。今では珍しくないかもしれませんが、当時、このようなダイバーシティな求人広告は画期的だったと思います。
現在の事業は
レーベルやマネジメント、出版ビジネスなどを展開する「アーティスト&ミュージック」、
アニメやゲーム、キャラクタービジネスなどを展開する「ビジュアル&キャラクター」、
そして、ライブエンタテインメントやパッケージソリューション、デジタルビジネス、メディア事業などを展開する「エンタテインメントソリューション」の3セグメントから成っています。
- ◆ネクタイをしない会社に潜り込む
- ここからは、私自身についてお話しします。
私は堅苦しいことがとても嫌いです。SMEへの入社したのは「何とかネクタイをしない会社に潜り込めないか」と思ったからです。
1987年に入社して、今年で34年目、58歳になります。趣味はゴルフ、エゴサ、仕事です。世の中に会社のIPや作品が発信されるときに、世の中の人々がどう感じてくれているのかを良いも悪いも全部知りたいと思っているので、それをツイッター検索しています。会社が好きで、日曜日の夜にワクワクすることは今でも変わりません。
レコードからCDに変わる時代に営業で入社して、熱血の新人時代を送っていました。33歳くらいで制作へ異動したのですが全くヒット曲が出せず、会社を辞めようかなと思っていたときに、35、6歳のときに大阪に異動をさせてもらいました。それまでは一匹狼タイプでしたが、大阪の宣伝担当の若い子たち10数人が初めての部下になり、そこで彼らの面倒をみるというモチベーションができました。今考えるとそれが転機だったと思います。
時代に沿ってヒットを生み出す
- ◆昼ドラのタイアップを狙った大阪時代
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90年代はドラマの主題歌になれば100万枚が売れる時代。キー局のゴールデンタイムのドラマ主題歌は有力プロダクションがほぼ占拠している状態でした。
そのころ仲良くなったMBS(毎日放送)のドラマのプロデューサーから、全国ネットで昼ドラをやる話を聞きました。当時の昼ドラはCDの購買ターゲットとはかけ離れた主婦向けのメロドラマがほとんどで、そこからヒット曲が出ることはありませんでした。ところが昼ドラをやる時期がちょうど夏休みで、「高校野球に興味のないローティーンの女子をターゲットにしたドラマに挑戦する」と聞いたので、ダメ元で「主題歌をやらせてください」と頼んでみたんです。
そして2002年の夏に、東京の新人ガールズバンドWhiteberry(ホワイトベリー)が歌うジッタリン・ジンの名曲『夏祭り』のカバー曲をドラマの主題歌にしたところ、あれよあれよと言う間に売れました。
昼ドラは大阪のMBSと名古屋のCBCテレビが毎年交互にやっていたので、CBCのプロデューサーを紹介していただいて、翌年は主題歌にZONE(ゾーン)の『secret base~君がくれたもの~』を起用してもらい、大ヒットしました。
そのときに思ったことは、「本流があれば必ず亜流がある」ということです。
タイアップに限らず、コンテンツでもビジネスでも完全なオリジナルというものはないので、オリジナルからいかに自分なりの亜流を考えていけるかが勝負です。世の中に受け入れられているものには必ず理由があるので、その理由をとにかく煮詰めてそれにアレンジを加える作業を繰り返していくと、おのずとオリジナルの”我流”になっていきますね。
(c)Sony Music Entertainment (Japan) Inc. (c)Sony Music Marketing United Inc. (c)Sony Music Records Inc
- ◆ヒットが続く好循環を作る
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38歳のときに東京に戻って、一番小さなレーベルの宣伝課長になりました。10人くらいの部下とわいわい楽しくやっていたところ、39歳のときSMEの社長から突然呼び出され、「ソニー・ミュージックレコーズの代表をやってくれ」と言われたんです。
当時、なかなかヒットに恵まれず、スタッフも疲弊していて雰囲気が良くありませんでした。社長から「お前のところだけが楽しそうにやっている。その雰囲気を大きいレーベルでもう一度作ってくれ」と言われ、年上の上司から新人まで100人くらいの所帯だったソニー・ミュージックレコーズの代表を引き受けました。
でも私には実績がなかったので、最初の会議で「今用意している新人アーティストがダメだったら私自身も退きます」と言いました。
そのアーティストがORANGE RANGE(オレンジレンジ)だったんです。運が良かったと思います。時代にも即していましたし、A&R*も非常に優秀で、かつ素晴らしいクリエイティブを作るいいチームで、いろいろな仕掛けをして、1stアルバム『1st CONTACT』が83万枚、2ndアルバム『musiQ』が300万枚も売れるというアーティストに育ててくれました。
* Artists and Repertoire(アーティスト・アンド・レパートリー)の略。アーティストの発掘・育成、アーティストに合った楽曲の提供までを担当するレコード会社における職務の一つ
そのヒットがきっかけで、加藤ミリヤやUVERworld(ウーバーワールド)、YUI、清水翔太とヒットアーティストが続く好循環が生まれました。
その後、SMEレコーズとソニー・ミュージックアソシエイテッドレコードの2つのレーベルも担当することになり西野カナやJUJUといったアーティストのヒットが生まれました。
- ◆ユーザーが探索する仕掛けづくり
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最近のヒットコンテンツの事例についてお話しします。
YOASOBI
YOASOBI(ヨアソビ)が生まれたmonogatary.com(モノガタリードットコム)という小説投稿サイトは、2017年にスタッフから公募した新規事業のアイディアです。
そこに投稿された小説を音楽化するためにYOASOBIが結成され、ソニーミュージックグループの多様なリソースでさまざまな展開をし、さらにディストリビューションを行うThe Orchardとの連携で世界配信も実現しています。
その結果2019年に発表された第1弾楽曲『夜に駆ける』は現在ストリーミングで6億回を突破し、Billboard Japan Hot 100の2020年年間1位を獲得しました。
プロジェクトメンバーがクリエイティブに関して意識したことは、”物語に沿った楽曲をしっかり作ること”です。転調を繰り返すことによって新しさを創出し、聞いていて飽きず、TikTokなどでさまざまに切り取れるようなメロディ構成にしています。また、カラオケで簡単には歌えない楽曲にしています。難しいからこそ「歌ってみた」などの投稿が増えて話題性が広がりました。
SNSをうまく運用してユーザーが能動的に探索していける仕掛けを作ることで、ユーザーが自分でYOASOBIという才能を発見したという感じを醸成し、人に教えたくなるという行動心理につなげたんです。チャートの変動をSNSで共有して応援したくなる雰囲気も作りました。「即レス」や「同時性」、「うまみ感」をつくることによってユーザーにインタラクティブな体験をしてもらい、エンゲージメントを向上させることでSNSでの話題が話題を呼ぶという好循環を作り出したのもスタッフの力だったと思っています。
会社人生で大切にしたい心得
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ここでは私が会社人生で大事にしていることをお話ししたいと思います。
会社人生の心得は「人に甘えよ」です。
個人としても組織としても甘えられる場所はあると思うので、「良いときも悪いときにも人に甘えましょう」と。そして組織はひとつの群れだと思っているので「人と群れよ」とも言いたいです。寒さや飢えをしのいで苦楽を共にして同じ方向に向くのが組織だと思います。
ほぼ真逆なことですが、「たった一つの得意技を」とも思っています。個人の特性はバラバラです。みんなには何でもいいので、たった一つの得意技を持っていて欲しいと思っています。
親父からもらった私が大事にしている言葉を紹介します。「人生のあいうえお」という言葉で、この5つを大切にしていれば大丈夫だと言われました。
「い(命)」は生きとし生けるものの命です。自分自身の体を大切に、生きとし生けるものの命を大切に、ということです。
真ん中にある「う(運)」だけは他の4つとは少し性質が違うと思っています。この「う」の周りにある4つの「あ」「い」「え」「お」を常に意識したり大切にしたりすることで、おのずと真ん中の「運(う)」は降ってくるのかな……と思いながら生きています。
村松さんに聞く1(質問リストから)
- ◆コンテンツ業界の課題
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VIPO専務理事・事務局長 市井三衛(以下、市井) ここからは、参加者の方から事前に募集した質問をお聞きしていきましょう。
「BTSのが海外で成功した要因をどのように考えていますか?」
村松 韓国は、国策としてエンタメと企業の商品を紐づけて早々に世界展開したことで、どの国よりも早く花開いたと思います。特に音楽に関してはそう感じています。
一方日本は、CDバブルで国内だけで十分商売ができていました。失われた10年間くらいの差が今になって出てきていますね。
韓国の勝因は、徹底的に育成システムを作り上げている結果だと思います。
BTSはSNSやYouTubeの使い方がうまかったですね。そのあたりは学ぶところでした。
市井 日本のアーティストも海外志向は持っていますか?
村松 デジタル化で障壁も低くなってきていますし、韓国の成功例は刺激にもなっています。海外志向を持っているアーティストは多いですね。そのためにも英語力は重要です。
昨年の日本の楽曲のサブスクで聞かれたランキングを見ると、トップ20のうちの90%がアニメの主題歌でした。まずはアニメという船に乗せて音楽を届けるのが、スピーディに世界に届く方法だと思います。
市井 日本のアーティストも音楽も海外に行けると期待していいのですよね?
村松 国内マーケットはシュリンクしていますから、世界に広げていくことがマストです。悠長にしている場合ではないと思います。
市井 「音楽業界、エンタテインメント業界の課題について教えてください」
村松 課題は特に感じていないです。音楽に限らず、エンタメに対する欲求は不変ですから。そういう意味では時代に応じて素晴らしい作品を多くの方に届けることしかないので、それを阻害するようなものはすべて課題ですね。
情熱が枯渇したときが一番まずいです。枯渇しないようにすることが課題かもしれないです。
- ◆経営・企業カルチャーについて
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市井 「アニプレックスさんは次々とヒット作を発信し続けていますが、その秘訣、仕組みについて教えてください」
村松 「ソニーミュージックグループの中にあったから」と私はポジティブに考えています。
アニプレックスは設立当時、結果が出ない時期が長く続いたことがありましたが、アニメという事業の可能性を信じて、サポートし続けました。ソニーミュージックグループの持つIPを最大化できる仕組みをたくさん活用してきた結果、一番いい形として『鬼滅の刃』にたどり着いたと思います。
レコード会社だったからこそ、出版社とかテレビ局、代理店とのつながりが深くあって、そこをアニプレックスはうまく利用してくれました。
市井 「3つの事業のバランスや、会社の力の入れ方、考え方に違いはありますか」
村松 ことあるごとに私がスタッフに伝えているのは、「01(ゼロイチ)をつくりましょう」ということです。
コンテンツ部門のスタッフがクリエイターやアーティストと共に汗をかきながら01(ゼロイチ)をつくることは、音楽でも営業でも同じです。「そこでできた1をあらゆるファンクションを使って無限大にしましょう」、「1から無限大にできるのはみんなの力。ソリューションを中心にやりましょう」と話しています。
それぞれのセグメントは分けていますが、思っていることはみんな一緒です。横の連携や会社の機能を使うことを前提に新しいIPを考えることは、トップマネジメント陣にはしっかり伝わっていると思います。
市井 各事業部、横の連携をうまくする仕組みはあるのですか?
村松 特にブレストの席はありませんが、同じ世代やマネジメントの連中は良く話し合っていますね。基本的に仲が良いのはそこに利害関係がないからかもしれません。
市井 なぜみなさんそのように横の連携がうまくとれているのでしょうか?
村松 目指している方向が同じだからだと思いますね。
市井 素晴らしいですね。
「今年度新規に設立したグループ会社2社(次世代、room NB)について教えてください」
村松 株式会社次世代と株式会社room NBは性格が全く違う会社です。
次世代は、全く新しい次なるスターを作る、アーティストおよび作詞家、作曲家のマネジメント&レーベルカンパニー。
room NBはネットクリエイターやネットコンテンツ周辺ビジネス、舞台ビジネスを展開する会社です。
2つの会社は、ボトムアップで「こういうことをやりたい」というところからできたものです。
インキュベーション部門で事業化する前に2年くらい下積みをして、ある程度自信や確信めいたものができたところで「独立して自分たちで黒字化できるように頑張ってごらん」という流れです。最初はどうやっても黒字にはならないので、2~3年はヘッドクォーターでサポートします。インキュベーションするアイディアはたくさんあります。
市井 「なぜ御社は新しいものを生み出すことができるのでしょうか」
村松 設立以来のチャレンジ精神を誰も邪魔しない土壌や風土がありますし、自分の業務範囲にこだわることなくアイディアを出す癖と横連携の風通しの良さだと思いますね。
市井 いい意味で遊び心がずっとキープされていますよね。
村松 2000年前後、他社が次々とヒットを出していたときに我々は苦戦していましたが、当時の社長は「水商売なのだから、またいいときがくるよ」という感じだったんですよ。「エンタテインメントをやっているのだから気楽にやろうぜ」というのはあるのかもしれないですね。
- ◆人材育成について
- 市井 「自身で考える強みと弱みは何ですか」
村松 一芸に秀でている人たちを「この人はここで活躍するのがあっているな」とか、「この人とこの人の得意技を合わせたらこんなことできるな」とかいうのを考えるのが好きというか……、それが私の唯一の得意技なのかもしれないですね。
俯瞰で物事を見る能力はあるのかもしれません。
弱点は専門性もないし知識もないし、どこに置いてもプロフェッショナルではないところです。一般性しかないので、「世の中の人はこれ好きだよな」とか「世の中の人は受け入れるよな」ということに関しての勘はあるかなと思います。
市井 「アーティストを見極める場合、何が一番のポイントになるのですか」
村松 アーティストの良し悪しの見分け方は抽象的ですが、”オーラ”ですね。
シンガーに関しては歌の上手さよりは圧倒的に声質が大切だと思いますし、ルックスや雰囲気、まとっているオーラが日本人の感性を揺るがすかどうかを私自身の物差しで測ります。自分自身がいいと感じたときは前のめりになりますね。
市井 「スタッフはどのように活かしていくのですか」
村松 その人が持っている個性や得意技を最大限に発揮できる環境を与えてあげたいと思っています。うまく配置ができると組織に何かしらの化学反応が起きるので、組織との相性や個人同士の相性を見極めていきます。
エネルギーとしての色気のある人は好きですね。やっていることがエンタメなので、「楽しみたい」、「触れたい」、「学びたい」などの欲求が素直に出ている人を私は「スケベ心」という言葉に集約しています。
自分の初期衝動的な欲求を素直に表してそれをビジネスにできる、それがエンタテインメントビジネスでは大切なところです。自分と同じような喜びを味わってもらいたいという気持ちがとても大切な欲望だと思うので、それを具現化できる人は勝っていけると思います。
- ◆会社や自身の成長について
- 市井 「一番苦労されたことは何ですか」
村松 一番つらかった時期は33、34、35歳くらいで、制作に異動になったときは何をやってもダメでしたね。本当に会社を辞めようと思っていました。
39歳から今に至るまであまり苦労したという思いはありません。失敗はたくさんあると思いますが、その失敗を全部部下がカバーしてくれています。私の選択ミスで事業が間違った方向に行こうとしているときに、うまく軌道修正してくれるブレーンがいてくれるのは本当にありがたいです。
市井 自分の職場や会社、業界の悪いところが浮き出て見えてしまい、「会社が好き」とは断言できない方からの質問です。「働くモチベーションはどこにありますか」
村松 私は仕事とか会社が好きなんです。
辛い時期もありましたが、ここ20年くらいは楽しくやっています。これは相性としか言いようがないので、たまたま相性が良かったなぁ……と。モチベーションを探す必要はないですね。
必ず浮き沈みはありますが、同じ会社にいて欲しいと思いますね。「会社にはまだいいところがあるな」と思えるのであれば一時の我慢というか様子を見てもいいと思います。
市井 「既存の成功体験にとらわれず、さまざまなチャレンジをするために心掛けていることを教えてください」
村松 新規事業を毎年スタッフ全員から募っています。今年も「我らの未来(つぎ)の飯のタネ」と題して募集したところ、1か月半くらいの応募期間で1300人からアイディアが来ました。一通り読ませてもらいましたけど熱い思いが伝わるレポートばかりでした。すごく嬉しかったですし、そういう習慣をどんどんつけるのが、チャレンジですね。
村松さんに聞く2(Q&Aライブセッション)
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市井 ここからはみなさんからライブで質問を受け付けましょう。
Q1 先ほど33歳から35歳くらいにかけてが一番つらい時期だったというお話しがありましたが、つらかった時期が終わったあと、ヒットを生み出すに至ったときの村松さんの気持ちの変化を教えてください。
村松 大阪に転勤してくれと言われたときは、本当に嬉しかったですね。肩の荷が下りたというか解放されたと思いました。悪循環の呪縛みたいなのってあると思うんですよ。
大阪に行って会社や仕事が楽しいと思えました。そこで会社とプライベートの境がいい意味でも悪い意味でもなくなった感じで、そこからは、周りも環境も人生も変わっていった気がします。そういう意味では大阪に異動させてくれた当時の上司には本当に感謝しています。
Q2 村松さんは分け隔てなく部下の方に接していらっしゃると思うのですが、苦手な人に対して心がけていることはありますか?
村松 部下というか年下のスタッフに関しては、嫌いな人はいないですね。「こいつ苦手だな」と思う人物にも絶対に可愛げがありますしね。多分、部下は私に甘えたいと思うので、ちゃんと甘やかせてあげたいなと思っています。
Q3 私より年下の社長と、私より年上の部下に対して、どのように接したらいいですか?
村松 私に年上の部下ができたときには「これでダメだったら私もいなくなりますし、上司と部下の関係もなくなりますので、一丸となって一緒に付き合ってください」と言いました。そのとき「一緒にやろうぜ」と言ってくれた私より年上の2人が最後まで残ってくれました。
社長には、やりたいことをしっかりと共有してくれる年上・年下の部下は絶対に必要ですし、大事になってくるので、遠慮せずに絡んでいったほうがいいと思います。
Q4 優秀な部下、ブレーンとなる人材が仕事のミスをカバーしてくれるとおっしゃっていましたが、そういう部下の見つけ方、見分け方のポイントを教えてください。
村松 長く付き合っているスタッフなので、自分のいいところも悪いところもすごくよく分かってくれている感じですね。
最初に見分けたわけではなくて、長く付き合っているうちに意思疎通ができて、私が考えていることと逆のことも常に考えてくれるようになりました。リスクサイドを補完してくれるようなタイプのブレーンが何人かいてくれる感じです。
Q5 時代がどんどん動いている中で、自分がだんだん合わなくなってきたなということを感じることはありますか?
村松 間違いなく感性は衰えてきていると思います。今はヒットを作ることに関して自分が携わることはないのですが、そういう感性を持っているスタッフを眺めているのが楽しいので、なるべくそういうスタッフたちと接するようにしています。エンタメ会社でマネジメントをしている限りは感性を失う速度を緩めたいと思っています。
市井 最後にひとこといただけますか?
村松 会社は辞めないほうがいいんじゃないかなと思いますね。1つの会社に長くいることのメリットデメリットはあると思うのですが、全部見えているわけではないと思うんです。私も未だに会社の全部は見えていません。
みなさんそれぞれエンタテインメントを志して今の会社に入られたと思うので、自分が学生だった頃にそれを楽しんでいたという初期衝動を忘れないで、それをなるべく叶えられる環境を自分の会社で作って欲しいと思います。
- 村松 俊亮 Shunsuke MURAMATSU
- 株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメント 代表取締役社長 CEO/日本レコード協会 会長
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1987年 |
CBS・ソニーグループ 入社 |
2005年 |
ソニー・ミュージックレコーズ 執行役員社長 |
2013年 |
ソニー・ミュージックエンタテインメント コーポレイト・エグゼクティブ レーベルビジネスグループ代表 |
2019年 |
代表取締役社長 COO |
2020年 |
代表取締役社長 CEO(現職) |
2015年 |
一般社団法人レコード協会 理事 |
2016年~20年 |
同 副会長 |
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