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想像力がなければ、新たな創造はできない――次世代へのバトンを繋ぐポニーキャニオン吉村社長の経営思考(VIPOアカデミー「コーポレートリーダーコース」経営者講演より再構成)
想像力がなければ、新たな創造はできない――次世代へのバトンを繋ぐポニーキャニオン吉村社長の経営思考(VIPOアカデミー「コーポレートリーダーコース」経営者講演より再構成)
パッケージから配信へと変化したエンターテインメント業界では、常に時代の先を見据えることが求められています。今回は、2015年の社長就任当時から、「脱パッケージ」をはじめとした様々な改革を進めてきたポニーキャニオンの吉村社長に、ご自身の転機や信条、「共創」思考や社内横断プロジェクト、ストレス発散方法に至るまで幅広くお伺いしました。(※本記事はVIPOアカデミー「コーポレートリーダーコース」講演を一部抜粋・再構成したものです。)
(以下、敬称略)
イマジネーションの想像の上にクリエイティブの創造がある
選択肢は2つ――辞めるか、上に立つか!
◆ ポニーキャニオンでやった3つのこと
今日は、前半は主に私自身のことを、後半は弊社の改革についてお話ししたいと思います。
私はポニーキャニオンで、大きく分けると3つの業務を経験しました。
一つは営業です。
高校時代からバンドをやっていた私は音楽部門をずっと希望していたのですが、最初はビデオレンタルの営業部門に配属されました。当時はまだ健全なビデオレンタル店がほとんど無く、反社会的な人が入り込んでいるような胡散臭い業種でした。怖い目にもあいました。当時儲かる? と思われていたビデオレンタル業でしたので様々な業種の方々が参入してきましたが、弊社にはまだきちんとした取引契約書はありませんでした。とにかくしっかりとした契約書を交わさないと将来大きなトラブルに繋がると思い、専門外でしたが、この事業に必要な法律を上長と一緒に勉強し契約書も作りました。それが結果的に今に繋がっています。その後、レコード営業も経験しました。
二つ目は、私が一番やりたかったA&R(Artists and Repertoire)・制作宣伝の業務です。
いろいろなアーティストと関わるようになり、アーティストの育成もしました。自分自身はプレーヤーとしては難しかったけれど、自分の手でアーティストを世に送り出すことができるようになったわけです。新人の発掘もしました。イベントに2~3人しか集まらないアーティストを数年後には武道館でライブを開催できるまでに育てられたときは、大好きな音楽の仕事をしていて本当に良かったと思えました。
45歳のとき会社人生において大きな転機となる事件が起きます。
新人発掘セクションの”部長”という立場から”平社員”に降格させられたんです。勿論それなりの理由はありますが、当時はその理由に正直なところ納得はしていませんでした。これまで培ってきた経験やスキルを全て否定されたように思ったからで、この人事にものすごく悩みました。だからと言って私はこれまで人事に対する不満は一度たりとも口にしたことはありません。それがプライドみたいなものかもしれませんが。
このような場合、選択肢は2つしかありません。
1つは嫌だったら辞める。
もう1つは誰にも文句を言われない認められる実力をつけること。
ポニーキャニオンでは55歳で役職定年になります。45歳だった私は「10年後の自分はどうなっているのだろう……? どうありたいのか」とその時真剣に考えました。考え抜きました。そして将来の自分を想像した結果、辞めるという選択ではなく、これから必要とされる知識・経験等のスキルを磨き、周囲からこの会社を任せようという機運を作り出すことで、ひいては会社を引っ張る立場を与えられるような自分になろうと思ったんです。
そして役職がないままに配属されたのが映像マーケティング部でした。これが3つめです。
配属された当時の映像マーケティング部はなんの戦略性もなく、ただ店に貼ってもらうためのポスターや看板、また店頭の一番いいところ、目立つところに商品を置いてもらうための告知物や販促物を作るだけの部署で、いわゆるルーティン的な仕事でした。
その際強く感じたのは「マーケティングはこれからとても重要になる、そのためにはマーケットの動向をしっかり掴む必要がある」ということで、その強い思いが名ばかりのマーケティング部を根本から変えていきたいという思いに繋がっていきました。ただそうした考えを当時の経営層に理解していただくのは容易ではなかったので、とにかく実績を積み上げていくことで、自然に会社がその重要性に気づくよう考えました。
当時、弊社の映像商品は動いているものだけでも約2万タイトルくらいあったのですが、まずはそれぞれの商品がイニシャルから最終的にどれくらい売れ、またどのタイミングでどれくらい返品されているかを調べ上げました。すると商品の動向が、ジャンルやその商品の持つ特性や背景等によっていくつかの傾向があることがわかってきました。それがいつのまにか「吉村に聞けば、その作品やそのジャンルがどのくらい売れるかが分かる」と言われるようになっていきました。
当時弊社には「映像」、「映画」、「音楽」の3つの制作本部があり、それぞれの本部内にマーケティング部があったのですが、映像マーケティング部で積み上げてきた実績が、結果的には3つのマーケティング部を合体させたマーケティング本部という組織変更に繋がり、その経緯から大所帯となったマーケティング本部の初代本部長に私が就任しました。
これまでに私は「営業」、「音楽A&R制作・宣伝」、「マーケティング」という大きく分ければ3つの仕事を経験してきましたが、特に3つ目のマーケティングの仕事に携われたことが、経営の基礎を学ぶことにつながり、それが今に繋がっていると思っています。
そう思うと降格はその後の自分を作れましたので、良かったことになりますね。
◆ 転機になった記事「百年後の日本」
ここで、平社員に降格させられた45歳の頃に、一つの転機となった話をします。
私は、1つの記事に出会いました。
明治時代に創刊された『日本及日本人』という雑誌の中で「百年後の日本」という特集記事が掲載されたのですが、これは今から約100年前、1920(大正9)年に、学者や小説家、思想家など知識人ら300人以上が「2020年に日本はどんな国になっているのか」という内容で寄稿したもので、私はその中のいくつかの記事に大変衝撃を受けました。
1つは「女性の大臣・大学総長」という記事です。
様々な分野で女性のリーダーが活躍することは、今でこそ珍しくありませんが、当時の時代背景や教育を考えると、到底想像することはできなかったはずです。それなのに100年後には女性の大臣や大学総長が誕生していると想像した方がいたんです。
もう1つは、「飛行機600人乗り」という記事です。当時日本では飛行機はまだ2~3名しか乗れず、それも命がけの乗り物と言われていた時代です。それを100年前に想像していたわけです。なんと現在の大型旅客機の主流は600人乗りだそうです。
最も驚いたのは、男性が壁に取り付けられた大型の電話機のような装置を使っているイラストです。その電話機のような箱の真ん中には丸い画面があり、その画面をのぞき込みながら受話器のようなものを耳に当てているイラストなんですがその横には「対面電話 芝居も寄席も居ながらにして観たり聴いたりできる」と書いてありました。すごくないですか?!
当時は、スマホは当然としても、個人の電話さえもない時代にです。この驚愕的な想像力、イマジネーションに私は衝撃を受けました。
私はこの記事に出会って人生観、考え方が変わりました。イマジネーションがとても大切だと気づいたんです。
そして、降格させられたときに「辞めるのではなく、これまで培ってきた知識や経験をいかしつつも新たな実力をつけることで会社を引っ張っていける自分になりたい」と考え、そのために自分がどのような行動をとればいいのかを想像したのです。
今でも新たな改革に限らず日ごろの業務においても、私はいつも「イマジネーションの想像の上にクリエイティブの創造がある! イマジネーションの想像が無ければ、新たな創造はできない」という話をよくしています。
『対面電話』(大野静方筆)=「百年後の日本 復刻」(株式会社J&Jコーポレーション)より
次の30年はない! という焦燥感を感じて
◆ パッケージ依存からの脱却
「企業寿命30年説」という言葉があります。企業は創設されてから終焉まで約30年と言われるものですが、実は弊社の成長はこの「企業寿命30年説」に当てはまるのです。
弊社は1966年に創設されました。その30年後は1996年になるのですが、当時の経営者は弊社の将来を見据えた3つの成長戦略を掲げました。一つは、創設30年目となる1996年の10年前、1986年にどこよりも早くビデオレンタル事業に大きく舵を切ったことです。当時のビデオパッケージは1本15,000円~18,000円もする高額な商品でしたし、ビデオデッキも高額でしたので一般家庭にはまだまだ普及していない時代でしたが、弊社はこれから必ずやビデオの時代がくると想像しその事業に力を注ぎました。結果、ほどなくしてビデオレンタル店が急増する時代が訪れ、店舗ができる度に弊社の商品は1店舗あたり1,000本~5,000本受注できましたので、非常に大きな収益に繋がりました。
二つ目は、1980年後半から1990年の初めにかけて音楽事業の拡大に取り組み、結果、チェッカーズやアルフィー、光GENJI、チャゲ&飛鳥、おニャン子クラブ、工藤静香などのアーティストを生み出し、大ヒットを連発していきました。
三つめは今も重要な事業となっていますアニメ事業の礎となったアニメ制作会社を立ち上げたことです。こうして弊社は終焉を迎えるはずだった1996年の約10年前から、次の30年を見据えた3つの成長戦略を掲げ取り組んだことで第1期30年を乗り越えられ、次の30年を創り上げていったのです。
そして第2期となる次の30年が終わるのが2026年となるのですが、その10年前、2016年の前年に社長を拝命した私は、ここから先の10年で成長戦略を描けなければ次の30年はないという強い焦燥感に襲われました。その危機感から新たな自社像を創るための改革に私は取り組みました。
社長に就任した2015年は、弊社主流事業であるパッケージマーケットが大きく縮小していたにも関わらず、弊社ではまだ全体の85%強がパッケージによる収益でした。特に音楽パッケージは、特典の握手券を手に入れたくてCDを買うような時代、言い換えれば音楽は二の次で付加価値である特典にどれだけ魅力あるものをつけて売るかという、本末転倒の時代になっていました。音楽コンテンツそのものは決してなくならないという思いはありましたが、このままでは弊社の業績はさらに低迷していくであろうことは明白でした。事実私が社長就任してからの業績は数年下降線をたどりました。このような現実と弊社の未来を予測して、まずは2020年度までの中期経営計画を策定し、パッケージ依存から脱却するための改革と新たな成長戦略としてライブ事業、直販事業、海外事業に力を入れ取り組みました。
実は以前にも「脱パッケージ」を掲げ新たな成長戦略に取り組もうとしたことがあったのですが、幸か不幸かパッケージの大ヒットによって、その改革や成長戦略に遅れを招いてしまうという苦い経験をしました。そういう意味でも、本来改革は状況が悪くなってから取り組むものではなく、将来迫りくるリスクを想像する”想像力”と、そのリスクヘッジにいち早く取り組む姿勢が必要なんです。
◆ 「共創」思考を植えつける全社横断プロジェクトとデジタルシフト
次に取り組んだことは「競争から共創へ」です。
パッケージが中心だった頃は、各事業がパッケージという1つの出口に向かって切磋琢磨し、部署間において他の部署を追い落としてでも自部署の作品プライオリティを上げていくという、いい意味での”競争心”が社内にありました。またそれで良かったと思います。
でも時代は変わり、各事業がパッケージ以外に収益を求めるようになっていったとき、こんなことが起きました。
ある部署から「新たな取り組みを始めるにあたって、コストはかかるが外部のこんなリソースを使って進めていきたい」との報告に対し、私から「そんな無駄なことをしないで、すでにこの部署が持っているリソースを使えば早いのではないのか?」と伝えました。ところが当該部署からは「せっかく苦労して積み上げてきた自分たちのリソース、経験や人脈を、なんで他の部署に渡さなければならないんですか?」と。
これでは改革のスピードが上がりません。実際、具体的な改革案を示してもなかなか進まない状況が続きました。こうした考えを変えていくためにも「競争から共創へ」、「共に創る=共創」を改革の基本方針として掲げ、根付かせることに腐心しました。
とは言っても、長年にわたって「競争」意識を文化としていた弊社にとって、その意識を変えるのは並大抵のことではありませんでした。いきなり抜本的な組織改革などするとハレーションを起こすことも予想されましたので、組織に工夫を加えながら縦割りの組織の中に、それを横断する5つの社内横断プロジェクト、「デジタル戦略」「業務改革」「グローバル戦略」「ブランド創造」「SDGs戦略」を作りました。各プロジェクトのメンバーは応募制も取り入れながら、20代後半から40代を中心に、1プロジェクトにつき8〜10人くらいで構成しました。
結果、この横断プロジェクトが、各本部、部署を繋ぐ役割を担い、「共創」という意識が徐々に芽生え各部署間の繋りが深くなっていきました。
もう一つ「共創」意識を高めるために、弊社の早急な課題であった「DX化推進」を全社で取り組みました。とにかくデジタルシフトへの移行が改革を推し進めるための大きな課題でありましたのでそれに力を注ぎました。ただしDX化、デジタルシフトは手段ではあって目的ではありません。これからの働き方を後押しするものであり、事業や業務の推進が目的です。その目的の本質はマーケットが何を望み、どのようなユーザーがそのニーズを満たすかを考えることです。これが「DX化推進」の本来の目的だと思っています。
こうした構造改革と成長戦略を併せて取り組んだ結果、2019年度に弊社の収益は大幅に改善しました。同時にパッケージ以外の売上シェアが、初めて50%を上回ったのです。利益においても初めて50%を上回りました。当初2020年度にこの結果を想定した計画でしたが、Official髭男dism のデジタル配信の特大ヒットが、計画を1年前倒しにしてくれました。
これまでデジタル意識向上の重要性を説いてきた私にとって、この特大ヒットは私の下手な説明より遥かに社内にその重要性と自信を持たせ、意識が一気にデジタルに向いていく一つのきっかけになりました。
◆ オンライン勉強会「朝活55」
コロナ禍で一番良かったことはオンライン勉強会「朝活55」ですね。
「朝活55」は2020年4月に緊急事態宣言が発令されて、社員が出社できなくなったときに始めました。弊社はオンラインによる業務は2019年の夏くらいから取り組んでいたので最低限の業務はスムースに移行できたのですが、ライブなどどうしても止まってしまう業務も多々あり、その分、ほとんどの社員にそれまで作りたくても作れなかった時間ができました。勿論、私もです。その時間をどう利用すればいいのか、何をしたらいいのかといろいろ考えた結果、この時間を利用してこれまでできなかった勉強をしようと思い、それを全社に広げて勉強会という形でできないだろうかと提案したところ、賛同してくれて始まりました。
現在「朝活55」は毎週火曜日の朝9時から55分間やっています。スタート時は定例ではなかったのですが、実施しているうちに「もっとこういう勉強をしたい」と言う意見がどんどん出てきて毎週の開催になりました。
実はそれまでも定期的ではありませんがリアルで勉強会をやっていたんですよね。でも集まらないんです。なんだかんだ忙しいと言って。
コロナで会社に行けなかったことも相乗効果としてあったと思いますが、オンラインは出席を容易にしました。どこでも参加できますからね。従業員約450人ですが、毎回300人以上が参加しています。
1例ですが、最近の勉強会では「メタ(フェイスブック)の今後の方向性、レコード会社スタッフが意識するべきことは何か」をテーマにフェイスブックジャパンの方を招いて講演していただきみんなで議論しました。
「朝活55」は私たちの大きな財産になっていっています。と同時に様々な知識そして意識の向上が、新たな事業、ビジネスに繋がり、各部署を結びつける「共創」を育てていってると感じています。
◆ 6つの信条が会社の行動指針に
最後に、私が仕事を通して培ってきた信条のようなものをご紹介したいと思います。
これまで多くの経験を積んできましたが、当然たくさんの失敗もしました。またその経験によって大きな転機になったこともありました。そうした様々な経験から私なりに学んだこと、身につけたことがあります。それを事あるごとに自分自身に言い聞かせてきましたが、それがいつのまにか私自身の信条になっていきました。それを社長に就任した際に指針表明の一つとして全従業員に伝えたところ、多くの皆さんに共感していただき、今では弊社の行動指針になっています。
1. クリエイティブであれ。
制作部門でクリエイティブという言葉をよく使いますが、すべての業務においてクリエイティブでなければならないと思っています。一言でいえば「気づき」です。気づかなければクリエイティブに繋がりません。いろいろな情報を自分なりに消化し自ら行動を起こして次の事業や次世代に伝えていくこと。そのためにはクリエイティブの気持ちが無ければできないと思っています。
2. 仕事は外に!外に向いた仕事を!
仕事がルーティンワークになってくると、内向きになるんですよね。外に向かなくなっていくんです。私は常に外に向いて外から情報をもらったり仕事の幅を広げることを心がけています。本来の仕事は外にあるんですよね。これは仕事上とても大事な行動主軸として、社内では常々話しています。
3. 性格は変えられないが、行動は変えられる。
大切なことはこれです。性格は大体2~3歳くらいで決まってしまうと言われます。内向的な性格で近所の人に挨拶ができなかったりしても、仕事になったら自分から挨拶することは行動としてしますよね。しなければならないですよね。例えば舞台や映画、またライブやコンサートなど俳優やアーティストは、性格はどうであれ舞台の上で演じます。それが仕事でありギャラをもらってるからですよね。私たちも同じです。報酬を得てるわけですから性格はどうであれ、仕事と言う舞台の上では演じなければなりません。それが行動です。私はある時それに気づき自分から行動を変えることをしました。
4. スクラップ&ビルド
積み上げるばかりではダメで、スクラップ、断捨離が非常に大切です。新しいことに取り組もうというビルドはとても大事ですが、ともするとそちらばかりに目がいきがちです。積み上げるばかりでスクラップも並行して行わないと現場は疲弊します。引き出しの中に物を詰め込んでいけば、いつかは何かを捨てなければ新たなものは入りません。私が構造改革に着手した際最初に取り組んだことは全事業の見直しです。やめても大きな影響がない業務はやめ、将来性を感じないものなどは整理して、課題の一つであった「仕事量」を調整しました。ただしこれは各部署の責任者がやらないと絶対にできません。「仕事は自分で調整しろ」と言うばかりでは何も変わりません。責任者が率先してやるものとやらないものを整理して、やらないものは思い切って上長がスクラップしていかなければビルドはできないと思っています。
5. 爆速
昔はスピード感と言っていたのですが、変えました。エンタメ業界は勿論ですが、デジタル環境は変化が激しく、我々の収益構造も多様化しているので、そのスピードについていく、言い換えれば乗り遅れないためにも、爆速で物事に取り組んでいかなければならないと思っています。
6. 優柔不断であれ。
ふつうに聞くといい言葉には聞こえないですよね。これは「柔軟性を持て」と同じようなことです。実はこの言葉は新入社員のときに当時の社長に言われた言葉なのですが、その時はあまり理解できませんでした。ただ環境の変化が激しい時代に、今日決めたことでも状況次第では翌日でも変えられる勇気が必要ということで、よりインパクトのある表現を使ったんだと思います。ただし、ブレるということではありませんし、ブレてはいけません。芯(本質)はしっかり持った上で、周りの環境に合わせて変化させていくことが重要ということです。
吉村さんに聞く!(質問コーナー)
◆ 360度ビジネスが加速する
VIPO専務理事・事務局長 市井三衛(以下、市井) 非常にわかりやすい吉村さんの個人の経験やポニーキャニオンで実行されてきた改革についてお話しいただき、ありがとうございます。
それではここからは、参加者の方々から事前に集めた質問に回答していただきましょう。
音楽業界は今後どのように変化していくと思われますか?
吉村 一言で言うと、配信中心の原盤ビジネスだけでは厳しくなると思います。
既に使い古された言葉ですが、音楽業界はますます360度ビジネスが加速していくと思います。パッケージ中心の時代はパッケージがそこそこ売れれば利益を作れましたし、採算分岐点を越えれば大きな利益となって返ってきましたが、ストリーミング中心の配信では再生単価が小さいのでそれだけでは厳しいものがあります。
Official髭男dismの『Pretender』は現在国内外合わせて9億回以上再生されていますが、これだけ再生される楽曲ばかりであれば、現状でもそれなりの収益は入ってくると思います。ただそのような楽曲はごく一部であって、サブスクの有料会員数がまだまだ少ない現状では、それだけで収益を確保するのは難しいものがあります。そこで、収益の多様化が重要となりますので、360度ビジネスがより加速するということになります。その周辺ビジネスの中では特にライブやグッズの売上げが拡大していますが、私が今、一番注目していると言いますか、力を入れていきたいのはファンダム事業、いわゆるファンクラブ事業です。どれだけ多くのファンを囲い込み、そのファンのためにどれだけ様々なサービスを提供できるかが収益拡大の大きな鍵になると思います。
そのためアーティストの契約もずいぶん変わってきています。パッケージで十分収益確保ができた時代は音源だけのビジネス(権利)でよかったので契約内容もある程度の基本形がありましたが、先ほど伝えました通り、収益の多様化によって包括契約が多くなってきています。そうなるとその契約の中身もアーティストごとに変わってきます。アーティストがしっかり食べていけるようなフェアな取引が大切になってきますので、そこに重点を置いています。
市井 包括契約と言うことは、全てを実施する機能をレコード会社が持たなければならないと言うことですね。
吉村 ライブ事業やグッズの直販といった既にスタンダードな機能以外にも収益を生み出すための多様な出口機能をどれだけ持てるかがこれからのレコード会社の生命線になると思います。言い換えれば、その機能を持たない会社は厳しくなっていくと思います。
◆ 海外展開で重要視していること
市井 次は海外展開についてです。海外展開で重要視していることは何ですか?
吉村 ネットの時代になり日本に居ながらにして世界に音楽を発信できるようになりましたが、それがどのような形で聞かれているのかは国によって違います。主力のSNSは非常に国民性が反映されます。YouTube、フェイスブック、TikTok、インスタグラム……どのプラットフォームで曲を聞いているか? そこが分かれば国によって攻め方も変えられます。そのためにまだ話せませんが、海外展開への足掛かりとなるものを今準備しているところです。
また日本のアニメは海外でも非常に人気が高いですが、日本ではヒットをしなかったアニメであっても、海外では意外に売れるものもあります。今までは日本のアニメをそのまま海外に持っていきましたが、これからは海外を意識した作り方も必要になると思っています。これはまだ始まったばかりですが、今後意識的にやっていこうと思っています。
◆ 意識改革には時間がかかる
市井 「競争から共創」「危機感」など、社員にはどのように意識改革をしたのでしょうか?
吉村 一言では難しいですね。意識改革は、正直なところ非常に時間がかかります。
「競争から共創」への意識改革は先にも話しました通り、縦割り組織に横断プロジェクトなどを絡めながら、隣の業務を自然と理解できるような環境を作り、必然的に共創を芽生えさせるようにして少しづつ意識が変わるようにしていきましたが、「危機感」についてはかなり難しいものがありました。事あるごとに状況の厳しさを伝えても、どこか他人事と思っていた人が少なからずいました。それも上層部ほど多かったように思います。そのために評価制度や給与制度など様々な制度改革を行い、それが業績によって左右されることを上層部に植え付けることで危機意識を高めていきました。ただし、私は若い方たちには危機感を植え付けようとは思っていません。なぜなら危機感は「やりたいことがやれないのでは?」という思いから仕事の幅を狭め委縮させてしまうからです。若いうちはベテランにはない自由な発想で、やりたいことをどんどん提案して欲しいし挑戦してもらいたいんです。
そのためには上層部は危機感を持ちながらも、若い人や部下の提案、挑戦にはポジティブに向き合い、状況によっては「こう変えていこうよ」という真摯な姿勢で向き合うことが大切で、それができて初めて危機を乗り越えていけると思うんです。
まだまだではありますが、そういった危機感を持った者が上に立ち始めています。
◆ どのようなリーダーを選ぶか
市井 重要なプロジェクトを任せる人、リーダーを決める際に最も重要視している点は何ですか?
吉村 次の4つがとても大切だと思っています。
1. 明確な意思、考えを持っていること
2. バランス感覚
3. コミュニケーション能力、聞く力
4. ストレス耐性
これが全てではありませんが、まずはこの4点に当てはまる人を一つの基準として選んでいますね。
リーダーは、プロジェクトに対し明確な意思と考えを持ち、具体的な方向性や方針を示して伝える必要があります。まず最低限それができなければ任せられません。
もう一つはバランス感覚ですね。リーダーはたとえ明確な意思と考えをもって方針等をしっかり伝えたとしても、必ず疑問や不満をもつ者がいます。その場合、その者を説き伏すのではなく、話を聞きコミュニケーションを重ねながら、相互理解することがとても大切になります。場合によっては相手の考えを取り入れるくらいの柔軟な思考が必要で、それがリーダーとしてのバランス感覚だと思います。そうしたバランス感覚がないリーダーにはなかなか人はついてこないと思います。またそうしたコミュニケーションや聞く姿勢は、その裏返しとして自分の伝えたい意図がなかなか伝わらない、分かってもらえないことがストレスなっていきます。そうした場合に相手とどう着地させるかがリーダーの腕の見せ所だと思いますが、その時に溜まったストレスを自分の中で消化し発散できる能力も必要になります。ストレスを抱え込んでしまうと、自分が壊れてしまいますからね。リーダーにはストレス耐性がないと任せられないと思っています。
◆ 自分に賛同してくれる人を作る
市井 戦略を打ち出し実行する際に、どういった点が難しいと感じますか?
吉村 何が難しいかと聞かれたら、「全員が納得するような戦略や改革はない」と言うことですかね。どんな戦略にも、どんな改革にも当然ですが反対派や抵抗勢力、もしくは不満を抱く人が必ずいます。でもそういう人がいるからといってやらないようでは改革や戦略は成し得ません。
会社は2割の人が引っ張り、6割の人がその2割についていく、残りの2割の人はそれを批判するとよく言われます。
改革途上の2018年まではとにかく精神的にきつかったですが、私の方針や考えに賛同し、ついてきてくれる人が2割以上いたことが非常に大きかったですね。そういう意味では自分に賛同してくれる人を作ることが大切です。
ただし未来を想像し、その未来の会社のあるべき姿は、私一人で創るのではないということ、そのために大事なのはみんなで考えながら一緒に創りあげていくことが大切だと思っています。私はそのまとめ役であり方向指示器的な船頭のような役割だと思っています。
それと横断プロジェクトを組成したこともとても大きかったですね。セクショナリズムにならず「会社の将来を一緒に考えよう」というムーブメントができました。賛同した社員たちが各プロジェクトに参加してその考えを植え付けていってくれたと思います。
◆ 泣ける映画でストレス発散
市井 ストレスはありますか? どのように向かい合っていますか?
吉村 勿論ストレスはありますよ。たくさんあります。ただストレスをできるだけ溜めないようにする術はいつのまにか身についたように思います。
現場にいる頃は今と違ってコンプライアンスなんて言葉がなかった時代ですから散々叩かれました。理不尽なこともたくさんありました。ただその経験がストレスを自分なりにコントロールできるようになっていったようにも思います。そうしなければ倒れていましたからね。ストレスが溜まりそうになれば、無意識にもまた意識的にもいろんな発散方法で気持ちを切り替えていましたし、溜めないようにしていました。そうした発散方法や気持ちを切り替えられる方法は人それぞれだと思いますが、それがいくつもあることがストレスとの向き合いには大切だと思います。例えばですがトラブルがあれば当然ストレスは溜まりますが「どうしたらこれをチャンスにできるか」というように、できるだけポジティブに物事を考えることもストレスの軽減に繋がると思います。
よく「趣味を仕事にすると、趣味を趣味として楽しめない」という人もいますが、私はそんなことはないですね。今でも音楽や映画で感動して震えることがありますからね。だからこそエンターテインメントの世界に入ってよかったと思いますし、ある意味、仕事が趣味の延長線にあることが、どこかでストレスの発散に繋がっていることもあると思います。
お恥ずかしい話ですが、私はもともと泣ける映画が大好きで、その物語に感動して涙を流すと、体中からエネルギーが湧いてくるようなとてもスッキリした気持ちになれます。それも号泣できる映画であればあるほどその気持ちが大きくなりますので、ストレス発散には絶大ですね。中でも高峰秀子さんの主演映画『二十四の瞳』は何回観ても号泣してしまいます。洪水のような涙をだせば、日頃のストレスなんて小さいものと思ってしまいます。
◆ 地域はエンターテインメントを求めている
市井 それでは、参加している皆さんからの質問を直接受け付けましょう。
Q 御社のエリアアライアンス部 を調べたところ、地方創生のようなことが書かれていました。会社が持っているリソースとあまり一致しないような気がしたのですが、そのあたりを具体的にお聞きしたいです。
吉村 ちょうど私が社長に就任した時は弊社主流事業の縮小により新たな収益源を求めて事業構造そのものを変えていかなければならないと思っていた時期でしたが、まだその時点では具体的なものはなく模索状態にありました。そんなとき一社員から「地域創生ビジネス」「地域協業ビジネス」の提案があったんです。それが2015年でした。
当初は私も「地域創生」、「地域協業ビジネス」が弊社のもつエンターテインメント事業とどうマッチングするのか疑問はありました。でも提案してきた社員は、それまでの経験や人脈を通して、各自治体は今「エンタメで活性化させたい」という話をいろんなところから聞かされたんだそうです。また地域に思いれを持つアーティストもたくさんいる。それなら自分たちの持つリソースでそれができるのではないかという思いに至り提案してきたということでした。
実際に佐賀県からは佐賀の観光施設に旅行者を誘致するための企画公募があり、弊社はそれを受託して4本のアニメーションを作りました。それがとても大きな話題となり観光促進の一助となりました。
また長野県では都市部の若者や学生のUターン、Iターンを促進する企画の公募があり、弊社がこれを受託して剛力彩芽主演のドラマを作り、県のホームページやYouTubeで公開したところ、これもかなりの反響がありました。
今の自治体の首長は40代を中心に若い方が多く、普通にエンタメに触れてきた世代です。アニメも映画もたくさん観るし音楽も聴く。またアイドル大好きという市長や知事もいます。そういう方たちと関係して分かったことですが、皆さんエンターテイメントをすごく求めているんです。エンターテイメントで地域を活性化させたいと思っているんです。ただ、そのやり方が分からないだけです。
私たちの事業がどれだけ「地域創生」、「地域協業ビジネス」にリンクし役立つかは携わってみて分かりました。地域の活性化にはエンターテイメントの力がとても有効な手段であり、むしろエンターテイメントの力は地域活性化には欠かせないものになってきているのです。
◆ 次世代へのバトンタッチ
市井 それでは私から最後の質問をさせていただきます。
素晴らしい改革をやられてこられて、これからも続けていかれると思います。それだけ大変なことをやろうとする熱意やモチベーションは何でしょうか?
吉村 モチベーションですか。ただ私は、音楽や映画、アニメといったエンターテイメントが大好きで、クリエイターが持つ才能、そして生み出されたものを一人でも多くの方に届けたいという気持ちは人一倍強いように思いますね。よく鳥肌がたつような音楽や感動する映画を観たら誰かにそれを伝え共有したくなりますよね。それがモチベーションになってるかもしれません。何より私はポニーキャニオンという会社が好きなんです。この会社から世の中を明るくするような、話題となるようなエンターテイメントコンテンツをいくつも輩出していきたいと思っていますし、結果として会社が長く続いていって欲しいと思っています。改革から変化へ、そして進化した会社はその基盤がやっと固まりつつあります。あとは拡大のための成長戦略を固めることだと思っていますので、その成長への目途がついたところでバトンタッチをしたいと思っています。それも一つのモチベーションですね。
振り返ると2015年に社長を拝命したとき、正直なところ「なんで今なんだ!」と思いました。
実は前任の社長の下で経営を担ってきた私は、年々縮小する主流事業に当時強い危機感を抱きながらも改革がなかなか進まないことにかなりの焦燥感を募らせていました。さらに改革途上でのパッケージのヒットが良くも悪くも追い打ちをかけ、改革がかなり遅れる要因になってしまいました。そうした中での社長拝命でしたので、このバトンタッチには正直悩みました。未来が描けていない中でのバトンタッチの上、今後は全ての責任を私が背負うことになるのですからね。
でも一方では大好きな会社ですし、このまま沈む姿を見たくない気持ちと、これまでできなかった改革を思い切り推進できるといういい意味の開き直りが、自分の中で大きなエネルギーに変わっていきました。それはエンターテイメントという大好きな仕事に携わっていること、そしてその力に負うところも大きかったと思います。とにかくこの会社を何とか立て直し、いい形にして次にバトンタッチしていきたい。それがエネルギーとなり熱意に繋がっているように思います。
吉村 隆 Takashi YOSHIMURA
株式会社ポニーキャニオン 代表取締役社長
<職 歴>
1981年4月
株式会社ポニーキャニオン入社
2010年3月
同社 映像・映画マーケティング本部長
2011年6月
同社 取締役 マーケティング本部長 兼 営業本部長
2012年6月
同社 常務取締役 マーケティング本部長 兼 営業、ネット事業担当
2013年6月
代表取締役社長 マーケティング本部担当 兼 企画推進本部担当
2016年6月
同社 代表取締役社長
2019年6月
同社 代表取締役社長 ミュージッククリエイティヴ本部担当
2020年6月
同社 代表取締役社長(現任)
<兼 職>
2013年6月
一般財団法人日本音楽産業・文化振興財団 理事(現任)
2015年6月
株式会社フジパシフィックミュージック 取締役(現任)
2015年6月
一般社団法人日本レコード協会 理事
2015年7月
株式会社ジャパン・ディストリビューションシステム 取締役(現任)
2016年6月
株式会社共同テレビジョン 取締役(現任)
2016年7月
一般社団法人日本映像ソフト協会 理事
2019年6月
一般社団法人日本レコード協会 副会長(現任)
2019年6月
一般社団法人日本映像ソフト協会 代表理事会長(現任)
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